(それはいきなりやってきた!からの続きです・・・続けたくないのだけれど・・・^^;)
しかし、「車は壊れるものだ」と言うごく当たり前のことをここ20年以上、すっかりと忘れておりました。
勿論、若かりし頃に乗っていたイタ車やフラ車は、予想に違わず壊れてくれたし(笑)、それを経験していたので、頭では分かったつもりでいたのですが、それはいつの間にか風化した美しき記憶となっており、現実に車が壊れると言うことに対する認識は甘少しかったかもしれません。(汗)
とにかく、大胡までの道程は長く苦痛なものに感じられました。
幸い、BL高崎から大胡まで、とりあえず車は順調に走ってくれましたが、またいつ発生するか分からないエンジンストール。そして、インパネの「システム警告灯」がビックリマークの文字を表示するのではないかと、それは気が気ではありませんでした。
それでもどうにか到着!正直、ほっとしました。(笑)
他にもつなぎを着た若いサービスマンがも数名います。
トラブル状況を「かくかくしかじか」とお話すると少し考える顔りをしながら、「じゃあ、ちょっと時間が掛かりますけど、取り合えず拝見しますので、お待ちください」とこと。
はい、お待ち致します。じっと待たせて頂きます。
で、待っている間に、まさに暇つぶしに撮ったのが前回のお写真なわけです。^^;
で、待っている間に、まさに暇つぶしに撮ったのが前回のお写真なわけです。^^;
「結論とすると、ちょっと見ただけでははっきりした原因は掴めないです。でも、気になるのはこの音!」
社長はそう言うとエンジンを掛けボンネットを上げてゆっくりとアクセルを吹かしていきました。
エンジン回転が上がり、ある一定の回転数になったろところアクセルを少し戻します。
エンジン回転が上がり、ある一定の回転数になったろところアクセルを少し戻します。
そして、「ここ、変ですよね!」と言います。
そう言われれば、確かにビリビリと何かが振るえるような音がします。言われんかったらワカランけれど・・・(汗)
「何が原因ですか?」とお尋ねすると少し首を傾げながら「うーん、タイミングベルトかな?」とのこと。
でも「一度、総合的に点検してみないと安易に判断は下せない」と言いました。
けれど、イタ車フラ車はまさに「生もの」だそうで、暑い夏場になると途端に傷みはじめて入院患者が増えるそうなのです。^^;
実際、こちらの工場も既にほぼ万床で患車が多くてとてもすぐに対応出来る状態じゃないと言うのです。
とは言え、この状態で乗れませんし、結局、車はお預けしてぷ~ちゃんは早くも入院となったわけです。
で、代わりに出してくれた代車がこれです。
ランチアY(イプシロン)というらしいです。
いやっ、まったく知らん車だと思って、ネットで調べたら、フィアットアウトビアンキに代わるスモールモデルとして1994年にデビューした車だそうです。
アウトビアンキ、購入一歩手前まで行って結局やめた車です。^^;
アウトビアンキ、購入一歩手前まで行って結局やめた車です。^^;
でも、ランチアといったらやっぱり「ストラトス」。
サーキットの狼で風吹裕矢も乗っていましたよね。たしか・・・(笑)
グレードはスポーツグレードの「エレファンティーノ・ロッソ」とかいうやつ。
ポットじゃないのに・・・炊飯器じゃないのに・・・象さんマークがついてます。(笑)
エンジンは1.2リットルのDOHC16バルブ、いわゆるV16って書くヤツです。
でもですねぇ。
でもですねぇ。
コイツが工場に最後に残った代車らしく、いわゆる強者(ツワモノ)です。
トランスミッションはスモールスポーツお決まりのマニュアル・・・
しかもギアボックス激固でクラッチが異様に重い。
それは床まで思い切り蹴飛ばして、シフトレバーは力で強引にゴリゴリとねじ込まなければ入りません。
しかもギアボックス激固でクラッチが異様に重い。
それは床まで思い切り蹴飛ばして、シフトレバーは力で強引にゴリゴリとねじ込まなければ入りません。
この車を代車として渡される時「左ハンドルのマニュアル車ですが、大丈夫ですか?」と訊かれました。
そして、なにより強烈なのは、「エアコンがない!」と来た。(大汗)
ここ数日涼しいからいいけれど、暑くなったら「どないせい!」言う車です。
いや、マジ「30年前の車に戻っちまったぜ!ベイビー!」の世界です。^^;
いや、マジ「30年前の車に戻っちまったぜ!ベイビー!」の世界です。^^;
しかし、こんな車、ぶ~こは絶対乗れんです。^^;
くりまんじゅうにしたって、25年ぶりの左ハンマニュアル車にしばらく慣れずに梃子摺りました。
それでも、昔とった杵柄ってやつ。
くりまんじゅうにしたって、25年ぶりの左ハンマニュアル車にしばらく慣れずに梃子摺りました。
それでも、昔とった杵柄ってやつ。
不思議と身体が憶えているんですね。最初は違和感全開でしたが、しばらくすると左ハンMTの体感、思い出した。
いやっ、こういうのって不思議ですね。
でも、さすがはイタフラ車メンテ工場の代車。
しっかり整備がしてあるのか、ブンブンブンブン、エンジンはよく回るし、小気味よく走る走る。
まさにスモールラテンのライトウエイトスポーツ!って感じです。
代車をお借りしたので取り敢えず不便はない(あるけど^^;)のですが、困っちゃうのは、307CCを買ったこと知っている逢う人逢う人に「あっ、車、どうしたんですか?」と訊かれる事。
まぁ、ウソ言っても仕方がないので、苦笑いしながら「早くも壊れて入院しています」とこたえるしかありません。
でも、それ聞くと皆さん、なぜか笑いを堪えながらも、軽く嬉しそうな顔するんですよね。(笑)
さすがはフランス車。
「他人の不幸は蜜の味」って、ブラックユーモア、そして人生のエスプリ効かせています。^^;
まぁ、この世知辛い世の中、皆さん、笑顔になれればそれでいい!です。(笑)
もはや、そう開き直るっきゃないです。^^;
でも、それ聞くと皆さん、なぜか笑いを堪えながらも、軽く嬉しそうな顔するんですよね。(笑)
さすがはフランス車。
「他人の不幸は蜜の味」って、ブラックユーモア、そして人生のエスプリ効かせています。^^;
まぁ、この世知辛い世の中、皆さん、笑顔になれればそれでいい!です。(笑)
もはや、そう開き直るっきゃないです。^^;
今、改めてそう実感しておりますです。
はい・・・
< Nikon D700 + Sigma 24mm F1.8 EX DG MACRO 他 >
< Nikon D700 + Sigma 24mm F1.8 EX DG MACRO 他 >
ランチャと言えば、デルタ・インテグラーレだと思うのですが、世代の差でしょうか(笑)
返信削除あるいは、高級車のランチャ・テーマか。
代車と言えば、生涯2度代車に乗りましたが、NAVI5のジェミニの代車は一台前のターボディーゼル・ジェミニでした。朱色のセダンでしたが、けっこう日本車離れした良い車でしたね(もちろんオートマ)
やっぱり、目が離せませんね。
はりーさん、おはようございます。
返信削除テーマって車は好きでした。
イタ車なのに見た目が物凄く地味でオッサンカー。でも、そこか凄く格好良く感じました。
勿論、アッパーミドルな車ですので、まったく買えない車でしたが、当時、徳大寺有恒が絶賛していて宝くじでも当たったら欲しいと思ったくらいです。(笑)
デルタはまぁ、近所のアンチャンが乗っていて、見慣れた車でなんとなくスルー!
なので、やっぱりスーパーカー世代とするとランチアというと「ストラトス」なんです。(笑)
ジェミニ…
とても甘酸っぱい思い出のある車です。詳しい話はしませんが…(汗)
イスズは乗用車から撤退してしまいましたが、面白い車を造っていましたよね。
117クープからの流れのピアッツアとか。ジウジアーロのデザインに忠実に造られたのでまるでマヨネーズみたいな車でした。(笑)
ピアッツアは、ヤナセでネロを買うに限るというような話でしたが、独特の魅力のある車でした。
返信削除若いと似合わないので、買おうとは思いませんでしたが。
うちの、ジェミニはFFになった初代の車でして、小粋な外観と非力なエンジン、いまいちの足回りの見た目だけは人気の車でした。
アクロバットチームによる、ダンスのCMはマイナーチェンジ後の車だったかな?
さらに、私のは5速の油圧クラッチによるATで、追い越し中のべた踏みのさなかに、ダブルクラッチを切ってシフトアップをしてくれる大間抜けで、5万キロを超えたあたりでクラッチ盤が滑りだしてえらいことになってました。
その反動で、次の会社の車はカローラにしたのですけど。
『街の遊撃手』ってやつですね。そのジェミニ!(笑)
返信削除しかし、当時の車ってやつは凄く印象に残るキャッチコピーが付いてました。
「いつかはクラウン!」とか「足のいいやつ!」とか…
今もきっとあるのでしょうが、あまり記憶に残りません。
そう言えば、ピアッツアネロってありましたね。
うちの隣の家の同級生が乗ってました。いや、ネロじゃなくオリジナルのピアッツアだったかもしれないけど、よく憶えていません。
その後、スバルのアルシーネになった。
未来的な車が好きだった農協職員でした。あっ、まだご健在ですけど…(笑)