現在はしっかり陽が出ている日中散歩が多い。早朝、寒すぎだし…
で、今日のお話は「碓氷川」散歩。(笑)
中仙道に沿う形で東西に長い安中の街はその北側を九十九川が、そして南側を碓氷川が流れている。
子供の頃、九十九川も遊んだ川であるが、やはり、旧安中に住む子供たちは「碓氷川」が主戦場であろう。くりまんじゅうも大いにハッスルした場所である。時は軽く流れ、既に40年近い歳月が経過してはいるが…(^^;
日の出と共に起き出して、ダウンジャケットを羽織り玄関を出る。
谷津の舞台横丁の坂を下った。
ちなみに「舞台横丁」なる名前は昔ここに「安中座」なる舞台があったからだそうな。
旧中仙道と並行して走る裏道との合流地点にある道祖神。当たり前だが、昔からずっとこの姿。安中市民なら知ってる方も多いはず。
見る人が見れば一発で分かるであろう旧「小川商店」のゴミ入れ。今は閉まったお店の脇にまだ置いてある。
ついでにこちらも思いで多き人も多いはず。無論、安中市民限定ではあるけど…
小学生の時分、市民プールへ行く道にあったお店。高橋のパン屋からかどうかは知らないけれど、「タカパン」とか呼んでいた。
当時、市民プールの入場料が子供5円だった。そして、プールの前の駐車場で売っていた「やきまんじゅう」が15円。で、帰りにタカパンに寄り、「チェリオ」飲んだ。多分、20円か30円。50円あれば一日たっぷり遊べたのです。
で、100円手にした時はもうリッチ、ゴージャース、フルコースになる。
なにより、タカパンで「インスタトラーメン」を自分で作って食べられた。(笑)まだ、カップヌードルはなかった頃のお話。
…といつまでも思い出話を語っていても仕方がないので先に進もう。(^^;
常谷橋を渡り、通学する女子高生。
一応後輩になる… が、まあ、子供といっていい程の年齢差はある。(笑)
ここでもまた、別の子とすれ違った。
そのまま旧市営プール跡地へ行く。
今はゲートボール場。
常谷橋の一つ東側に掛かる安中大橋で碓氷川を渡った。
ハナミズキの葉が朝日を浴びて赤かった。
前に書きましたが、ここで小学生から「おはようございます」の元気のいい挨拶を受けた。清々しいものです。
http://yume-no-nakade.blogspot.com/2008/11/blog-post_27.html
橋を渡りトメットへ向かう。
そう言えば、なぜこの場所を「トメット」と言うのか知らない。
考えてもみなかった。昔から皆「トメット」と呼んでいたから「トメット」である。
そんな思いもあり、ネットで少し調べてみたが、実はよく分からない。Google辺りで引くと「トメット滑り止め剤」というのが大半である。滑り止めという意味合いは分かるが、多分、違うだろう。
また、別の意味では、フランスの伝統色『南フランス特有の赤煉瓦の色』のこともトメットというらしい。さらにはチーズの塊の総称をトメットというのも出ていた。
誰か知っている人がいたら教えてください。m(_ _)m
中宿堰沿いに調子よく歩いていったのはいいが、途中で藪になった。
まったく道が整備されていない。あまりの酷さに途中で引き返すことも考えたが、やはり前に進みたい性格です。悪戦苦闘で頑張りました。(笑)
で、ようやく到着。
あっ、これは途中レンズフードを中宿堰へ落としてしまった証拠写真。一応、記念として。どうして落として、どうして探して、どうして拾い上げたかは…書き出すと長くなるのでやめますが、とにかく、大変でした。(笑)
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そう言えば、ここは毎年、元旦の朝、シロと一緒に来る場所でした。(今年は確か二日だったような記憶があるけど…)
(調べたら…やっぱり…)
もう五年くらい前ですが、ここで勢いよく川に落ちたものです。いえ、シロじゃなくくりまんじゅうが…(笑)
元旦の朝からずぶ濡れになって、寒いなんてものじゃなかった。シロは「何やってんだ?」って顔してみてたけど…
そんなことを思い出しながら、河原沿いを歩きました。
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そろそろ帰路につきます。
「洗濯川」です。昔はお婆ちゃんとかが野菜を洗ったり、服も実際にここで洗濯してました。
まだコンクリじゃなかった時代。沢蟹やザリガニとかもいっぱいいたな。アメリカザリガニじゃないのもいた。一夏で大きなタライ2つくらい捕まえて、それが腐って大悪臭を放ったこともある。
河原でザリガニを爆竹で木っ端にするという、今に思うと強烈に残酷なことを平気で仲間たちとやっていた。(^^; ダック・アワヂ・イヅミちゃん。(笑)
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秋なので見る花、みる花、菊科です。
とうことで、ここからもう少しだけ歩いたのですが、まあ、このくらいがいいでしょうということで、この日の「碓氷川散歩」は御終いです。(^^)v
次回の早朝散歩は「板鼻(予定)」です。
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