2015-02-28

秋の南会津へ 8

  (秋の南会津 7からの続きです・・・)

 時刻は午後四時を過ぎたくらいだったでしょうか、「塔のへつり」の駐車場を取り囲む雑木林に西日が射し込んで、黄葉をとても美しく彩っていました。


 やはり紅葉や黄葉は透過光に限ります。


 といいつつ、こちらは順光。
 明暗の差が激しくカメラ泣かせな光景です。


 広葉樹の雑木林はいいものです。
 新緑もまた美しいのでしょうね。



 しかし、今回の旅の中ではここの紅葉が一番美しかったかもしれません。


 今年(と言っても既に昨年ですが・・・^^;)初めて、まともな紅葉を見た気がしました。


 駐車場は舗装されていません。
 林を切り開き、整地して砕石を撒いて踏み固めたものです。
 けれど、この場所にはこれがあっています。


 さて、日が暮れ切る前に群馬へと向かいましょう。
 帰りは高速を使うので約3時間を予定しています。


 東北自動車道のインターチェンジのある白川へ向かう山越えの道で見かけた湖です。
 後で調べたら「羽鳥湖」というダムによって形成された人口湖だそうです。
 これまた後で知った話ですが、この辺りの紅葉も素晴らしいそうです。確かに深い山の中です。

 また機会があれば訪れてみたいものですね。

 おしまい

 < Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-24

秋の南会津へ 7

 (秋の南会津 6からの続きです・・・)

 またしばらく更新が滞ってしまいました。(汗)
 さて、大内宿の駐車場を出たのが午後3時半くらいだったでしょうか。
 秋の日は釣る瓶落としと言いますが、季節は11月の初旬、あと1時間もすれば日が暮れてしまいます。
 しかし、「せっかくここまでやってきたのだから!」とこの地域のもう一つの観光名所へも寄ってみることにしました。


 大内宿から車で10分程度でしょうか「塔のへつり」へ到着です。


 「へつり」とはあまり聞きなれない言葉ですが、会津地方の方言で川に迫った険しい断崖、危険な崖
のことを意味するのだそうです。
 約百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観が創られました。そして、昭和18年、河食地形の特異例として国の天然記念物に指定された・・・・と看板に書かれていました。(汗)


 崖上にも展望所があるのですが、坂を下って川沿いへ行くことも出来ます。
 昭和風情のレトロなお土産さんが通路脇にありました。


 ワンコモ立ち入りOKということなのでチャップも一緒に下りてきたのですが、つり橋の手前まで来ると「もうオレ、動かんもんね!」としストライキを起こしました。


 そう、チャップは揺れるつり橋が超苦手なのです(笑)


 「なら、オマエはそこにイレ!」と告げ、くりまんじゅうは橋の上から高倍率ズームワイド端でパシャリ!


 そのままテレ端でも・・・パシャリ!(笑)


 ついでに、川面に写るつり橋と展望所の人たちも・・・
 

 西日が強くて明るい場所と暗い場所のコントラストが強すぎで、撮影状況は非常に厳しかったです。


 塔のへつり観光を終えて、駐車場へ戻ると周囲の雑木林の紅葉がちょうど身頃を向かえていて美しかったです。

 続く・・・

 < Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-16

秋の南会津へ 6

 (秋の南会津へ 5からの続きです・・・)

 大内宿でのぶ~このお楽しみはなんと言っても「高遠そば」。
 ネギ一本を箸代わりにして食べる例の「ねぎそば」です。(笑)
 大内宿には何軒もこの「高遠そば」を供する店が何軒もあり、ぶ~こは「どのお店がいいかな~」と道の左右に並ぶお店をキョロキョロと物色しておりました。


 で、ようやく決まったのがこちらでした。
 けれど、あえてお店の名前は書きません。(汗)


 お昼時をだいぶ過ぎた時間でしたので、お客さんはまばら、縁側脇の通りが見えるいい席に通してくれました。


 店員さんが「お品書き」を持ってきてくれます。
 ぶ~こは迷わず「私はねぎ蕎麦!」と元気にコール!
 くりまんじゅうは「名物に美味いものなし!」という言葉に従い(笑)、そこは清く正しく迂回しました。^^;

 待つことおよそ10分ほど…
 やってきました「ねぎ蕎麦」こと「高遠そば」です。
 ちなみになぜ「高遠そば」というかというと、その昔、会津の殿さまが信州高遠藩で育ち、寛永20年会津藩主となって以来、大根おろしそばを高遠そばと言ってるそうです。


 で、くりまんじゅうはこれ!
 無難に「とろろ蕎麦」です。(笑)


 最初は興味津々、胸わくわくでねぎ一本を箸代わり意ねぎ蕎麦に挑んでいったぶ~こでしたが、ものの30秒もしないうちに…「なにこれ!食べにくいし、不味い!!!!!」
 そうなんです。(笑)
 これまで多くの方から大内宿のねぎ蕎麦のお話を聞いていたのですが、そのほぼ100%の人が「食えるモンじゃない!」と酷評していたので、ぶ~こにも当初「やめておいたほうがいいんじゃない…」と言ってはいたのですが、ぶ~こは聞く耳持たなかったのです。
 それでも意地になって食べておりましたが、最後はヤケのやんぱち、ネギを直接、齧り出しました。(笑)
 しかし、結局、ギブアップして口直しにと「それ、頂戴!」とくりまんじゅうのとろろ蕎麦を食べていました。


 あえて、名前は書きません。(汗)
 いや、実際、どこのお店もネギ一本を箸代わりにしてそれを齧りながら食べるというスタイルにやはり問題があるのです。(きっぱり)
 それでもやはり名物、せっかく来たのだから一度は食べてみようと、お店にいたお客さんのほぼ8割がコレ、頼んでいました。(笑)


 しかし、ぶ~こは期待が大きかっただけにその落胆も激しく、店から出るなり「もう、二度と大内宿なんかこないもんね!」と超不機嫌の怒り心頭モード!
 そして「チャップが待っているから帰ろう!」と足早に行ってしまいました。


 こういう時は下手に関わるとこちらまでとばっちりを受けるので触らぬ神に祟りなし。^^;
 で、くりまんじゅうは一人遅れてこんなのを食べながら駐車場へと向かったのでした。
 はい、これ、とても美味かったです。(笑)

 続く・・・

 < Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-14

秋の南会津へ 5


 (秋の南会津へ 4からの続きです・・・)

 大内宿へ到着です。
 途中、チャップを散歩させたり、道の駅に寄ったりでしたが、約7時間弱ほど掛かりました。
 やっぱり東北は遠いです。(寄り道せずに高速なら半分くらいで来られますが・・・^^;)


 それでは大内宿の概要を大内宿のHPより…(汗)

 ◆ 由来

 『大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
 『南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。』



 『また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。』


 『更に遡って山本村から大内と改められた経緯は、後白河天皇第3皇子の(第2王子) 高倉以仁王(たかくら もちひとおう)は、平家物語では1180年源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼って逃亡しました。
 その途中、当時の山本村(現在の大内宿)に逗留され「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」と詠い、この里が宮中の大内(だいり)によく似ているため大内と改めたといわれています』。


『王子を高倉大明神として観請し明治3年5月18日高倉神社と改めて今もなお、村の鎮守として祭られています。』


 ◆ 国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されるまでの経緯

 『昭和42年 会津茅職人の調査に訪れた武蔵野美術大学の相沢教授(当時学生)が強く保存の必要を村に訴えたましたが、村は賛成と反対との意見に2分されました。
 しかし、相沢教授の熱心な説得と当時の大塚実町長が時間をかけて説得に当たり昭和50年文化財保護法の改正を経て、昭和56年4月18日 重要伝統的建造物群の指定を受けることに至りました。
 旧宿場としては長野県の妻籠宿および奈良井宿に続いて全国で3番目の選定になります。』


 ◆ 現在

 『通年を通し約120万人の観光客が訪れるようになった今は殆どの家でお土産店または蕎麦屋等の店へと変わり、農業から観光産業へと完全に切り替わってきました。
 この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。』


 ということだそうです。(汗)

 長野の妻籠宿や奈良井宿へも訪れたことがありますが、同じ古い町並みを残した観光地ではありますが、大内宿の方がなんというか「アトラクション」的な匂いがしました。(汗)
 長閑で素朴で牧歌的なのですが、なぜか造りモノ感が漂っているのです。


 で、その理由を探ろうと色々見て廻ったのですが正直、イマイチわかりませんでした。
 でも、まぁ、それなりに楽しくもありましたので良しとしましょう。^^;
 ちなみに大内宿へワンコを連れ込むことは可能でしたが、結局、チャップは駐車場でお留守番でした。

 大内宿、まだ続きます・・・

< Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-13

秋の南会津へ 4

 (秋の南会津へ 3からの続きです・・・)

 田島の市街地を少し過ぎた場所だったと思います。


 国道脇の民家の奥に、なんだか、「日本昔話」に出てくるような風景が広がっていたので、思わず車を停めてしまいました。
 「ぼうやぁ~♪ 良い子だ♪ 寝んねしなぁ~♪」とつい口ずさみたくなります。


 これで茅葺屋根の古い民家なんぞがあれば、さらに雰囲気が盛り上がるのでしょうが、さすがに辺りにはそんな家は見られませんでした。
 でも、稲を刈り取る前も風情があったでしょうね。


 しかし、日本の原風景な気がします。
 初めてこの地へ来た観光客が言うのは単に感傷的なのかもしれませんが、それでも残しておきたい風景と思いました。


 折角なので、チャップもこの地のあちこちに記念を残しました。(汗)

 続く・・・

 < Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-12

秋の南会津へ 3

 (秋の南会津へ 2からの続きです・・・)

 ご無沙汰しております。最長不倒、実に二十一日ぶりの更新です。^^;
 言い訳的には忙しいってこともあったのですが、事実は完全に怠けてしまいました。(汗)
 さて、再開するに当たり、いまさら秋の紅葉シリーズを続けるのも如何なものかと思ったのですが、他の話題も特にないですし、ブログ自体をやめてしまうならともかく、そうでないのにシリーズモノを途中でやめてしまうのも気分的にあまりすぐれないので、まぁ、とりあえず続けてみます。^^;


  会津西街道のこの辺り、道(国道)のすぐ脇を川が流れています。
  深い山の中ですので、見るからに清流って感じです。岩魚とか山女がいそうですが、国道傍なので実際は分からないけど・・・^^;


 夏場ならチャップが(とぶ~こ)飛び込んじゃうところですが、11月のこの季節は冷たすぎます。


 この日、天気予報では午後から空は下り坂になるという話でしたが、頭上には気持ちのいい青空が広がっておりました。


 しばらく進み、「会津西街道たじま」の道の駅に寄ってみました。
 (山の中にしては)けっこう大きな道の駅で、一本道のせいもあってから、観光客が多く、それなりに賑わっていました。
 で、トイレを済ませた後、お約束のソフトクリームを買い、二人と一頭で分かち合いました。^^;


 山国、群馬に暮らすくりまんじゅうですが、この辺りの福島の山は群馬の山とも長野の山とも山梨や新潟の山とも違う感じが強くしました。
 山塊は深く、それなりに高く大きいのですが、圧迫感が少なく女性的というかどこか優しいのです。
 「どこかに似ている」という場所が思い出せないのに、それでいて懐かしくも感じる景色でした。

 さて、田島まで来れば目的地の大内宿ももう少しです。
 日が暮れる前に参りましょう。

 続く・・・

 < Nikon D700 + AF-S NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2015-02-01

今月の自由コメント板


法令又は公序良俗に反すること(&くりまんじゅうの許容範囲外)でなければ、この記事へのコメントには何を書き込んでいただいても結構です。

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