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2011-03-19

目を伏せてはいけない

 海外のメディアが掲載している写真を見て胸が詰まりました。
 少し語弊があるかもしれませんが、震災から一週間、何十時間も見たテレビの映像が陳腐なものに感じてしまいました。


 恐怖もあれば・・・


 悲劇もある。


 言いようもない深い悲しみもあれば・・・


 どん底の絶望もある。


 暗く重い不安な日々が、今も続いている・・・

 けれど・・・

 そこで懸命に戦っている人たち・・・

 命を掛けて頑張っている人たちもいる。

 そして、小さな希望や明日につながる夢もあります。

 真実を写すこと。それが写真。
 これは、まさに写真です。

 これらの写真は「The Atlantic Infocus」から転載させていただきました。(各写真はクリックをすれば大きく表示されます。)

 まだまだ、胸の打つ写真があります。


2011-03-18

CM 上島運動

「オレが」っていうと
「オレが」っていう。
 
「オレも」っていうと
「オレも」っていう。
 
「もっとオレが」っていうと
「もっとオレも」っていう。
 
 
そうして、あとで 寂しくなって
 
 「じゃ、オレが!」っていうと
 「どうぞ、どうぞ!」っていう。
 
 
こだまでしょうか。
いいえ、「上島」です。
 
 
 やさしくなれれば
 やさしく相手もこたえてくれる。

 UC♪ 上島運動機構です。


 いえ、けしてふざけているのではなく、今、必要な行動です。
 「どうぞ、どうぞ」の上島運動。

 右手を優しく差し出して、皆で言ってみましょう。
 きっと、笑顔が溢れるのじゃないでしょうか。

2011-03-16

M8 and TSUNAMI

 本当に偶然なのですが、つい先日まで高嶋哲夫氏の「M8」そして「TSUNAMI 津波」を読んでいました。日本を舞台にした地震サスペンス小説です。

 ご存知の方も多いかもしれませんが、高嶋哲夫氏は1949年7月7日岡山県玉野市生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、大学院修士課程修了後、日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。
 そして推理小説家に転進したという科学技術を直に学び知っている方です。

 「M8」では直下型大地震が東京を襲います。
 物語的には阪神・淡路大震災を体験した若手研究者がマグニチュード8規模の東京大地震を予知します。
 当時、被災しながも無力だった自分。そして多くの対応が後手に廻ったあの過ちはもう繰り返してはならないと無名の研究者が奔走するわけですが、それ以上に東京に巨大地震が起こったら、高速道路は、地下鉄は、都心のビル街は、いったいどうなるのか。
 著者の研究成果とデータを基に最新研究に基づいてシミュレーションしたその具体的かつ精緻な描写が実にリアルに地震の恐ろしさを描いています。

 そして、その続編「TSUNAMI 津波」では、東京直下型地震の10年後、今度は太平洋沿岸を巨大地震と大津波が襲います。
 そう今回の東北関東大震災と同様、プレート海溝型地震である東海地震、東南海地震、南海地震が同時発生し、直後、巨大な津波が日本を襲う物語になっています。

 実はこの小説を読んで「地震予知」についてとても考えさせられました。
 もし、「一週間以内に巨大地震が起こる可能性が90%の確率であります」と予知情報が出た時、自分はいったいどうするか。
 信じるのか信じないのか?
 そして、それが当たらなかったら「よかった」と思えるのか、それとも「人騒がせな」と腹を立てて不満をいうのか。
 考えるまでもなく、後者であるに決まっています。

 もし、人生のうち必ず誰しも一度は体験する巨大地震であるならば、その怖さは骨身に染みるでしょう。
 けれど、100年に一度の地震は遭う人と遭わない人のいる難しさ。

 それ以上に地震予知の難しさ。仮に現在唯一の予知可能と言われている東海地震の予知情報が出て、その対策(交通網の遮断等)をとると一日約6000億円近い経済的損失になるそうです。外れた責任はいったい誰が取れるのか。
 先端科学技術の粋を集めた地震予知。しかし、世間一般的な人から見たら「いんちき占い師」と同じような評価。
 しかし、それでも客観的なデータでは地震発生の確率は高い。
 その時にまた予知情報は出せるのか。
 そして、それが2度3度と繰り返された時、人はどんな態度をとるのか。
 人は外れたことをよろこんで騙され続けられるのか…
 考えれば考えるほど難しい問題です。


 そして、誰一人信じなくなった時、多分最悪の結果とともに地震はやってくるのです。 そんなものだと思います。

 それにしても、津波、長周期地震動、液状化現象、石油備蓄タンク火災、帰宅困難者、避難所生活、地震時における原発事故…
 それらすべてが小説に細かく描かれており、現実にまさにその通りのことが起きてしまいました。(尚、小説では原発事故は一人の原発所員の如何にも小説的な自己犠牲による行動で最悪の結果は免れることになりますが…現実の世界はなかなか厳しい状況ですね。)
 実際、ここ数日のテレビの映像を見ていると小説がそのまま映像化がされたようです。

 小説で知ったことですが、津波にやられたご遺体は正視できないような酷い状態になるそうです。
 いや、今はまだそんな話はやめておきましょう。

 しかし、ここ30年以内の地震発生確率。
 今回の宮城県沖地震は99%だったそうです。
 そして、東海地震は84%。東南海地震が50%、南海地震40%だそうです。
 さらに南関東地震(東京)は70%の高確率です。

 密かに忍び寄る巨大な危機。
 今こそ、心しなければいけませんね。

 けれど、それ以上に今は目の前の大災害をどうにかしなければなりません。
 最悪のシナリオは気象庁が予測した16日、そう今日までにM7以上の余震が来る確率は70%が当たるかどうか。
 最大余震は本震の-1が平均的です。
 被災地が、そして原発がこうなっている今、「M8」に襲われることだけは絶対に、絶対に避けたいものです。

 30%に願いを掛けます。
 神様、どうか、それだけはやめてください。お願いします。

 < Nikon D40x + Nikkor AF-S 50mm F1.4G >

 100年に一度の津波に対するスーパー堤防は不要って言っていた事業仕分けはどうなるのでしょうね。
 人知れず、今、原発で命をかけて戦っている人たちのことを考えると胸が詰まります。

2011-03-14

計画停電

 本日より輪番停電になるそうです。
 群馬県の安中地域は第5グループ。15:20~19:00の予定です。

 第1グループ 6:20~10:00 16:50~20:30
 第2グループ 9:20~13:00 18:20~22:00
 第3グループ 12:20~16:00
 第4グループ 13:50~17:30
 第5グループ 15:20~19:00

 属するグループは日によって変わるのか、またいつまで続くのか分かりません。

 店の営業も工場の操業もままならない状況で、しばらく不便な日が続きますが、「不便」とは思わず復興への小さな「お手伝い」だと思えば、なんてこともないです。

 頑張ろう。皆さん!

 < Nikon D40x & AF-S Nikkor 50mmf1.4G >

2011-03-13

東北地方太平洋沖大地震

 平成23年3月11日金曜日、午後2時46分。

 東日本で国内史上最大(M8.8>M9.0に変更)の地震がありました。

 被災した方々には心よりお見舞い申し上げます。

 < Nikon D40x & AF-S Nikkor 50mm F1.4G >

 はしゃぐ気分には当然なれず、本日は更新をやめようかとも思ったのですが、とりあえず・・・

2011-01-19

ちょっと榛名へ

 近頃、「パワースポット」なる言葉(場所)が巷で流行っているらしい。
 「パワー・スポット」。その言葉通り「力」の「場所」である。まぁ、正しくは「力」を感じる「場所」だろうけど…^^;


 榛名神社も最近はその類。
 以前はいつ来てもひっそりとして厳か、ひと気を感じない場所でしたが、この頃は土日などは道が渋滞するくらいです。(この日(12/25)は平日だったのでさほどではなかったですが…)
 まぁ、榛名町が高崎市に合併して行政も「榛名観光」に力を入れているという理由もあるのでしょうが、昔から知っている者からするとちょっと驚きです。


 ちなみに榛名神社。パワースポットといっても「金運上昇」のパワースポットらしいです。
 その理由は参道に七福神の毘沙門天が祀られていて、毘沙門天は財の神として有名なので、金運上昇パワーを大いに感じ取れるだそうです。ホントか!(笑)
 でも、もし本当だったら、くりまんじゅうもあやかりたい。
 万年貧乏を胸張って自慢している「Aっ子先生」あたりは、まぁ3日に1度は行ったほうがいいかもしれない…(笑)


 さて、そんなお馬鹿な話はともかくとして、実際、この神社には「何か」います。
 最近流で言えば、何か「持ってる」神社です。それは確かに感じます。(ってそれをパワースポットっていうのでしょうけど…^^;)


 同時に、2年半ほど前、ここで会った「愉快なカップル」をつい思い出してしまいました。(笑)
 http://yume-no-nakade.blogspot.com/2008/05/blog-post_20.html
 今読み返しても笑えます。


 この日は単24mm付けてました。シグマの24mmF1.8です。
 広角レンズですが、開放近くまで絞りを開けばボケます。やっぱりデジイチ使うのなら「ボカ」してなんぼと最近とみに思います。(汗)


 でも、帰りの参道でレンズを交換。
 普段はレンズバックは車に積みっぱなのですが、珍しく持って出ました。で、折角、重いバッグ持ってきたのだからと交換してみた。ただそれだけの理由です。(爆)


 しかし、寒かったです。尋常じゃないくらい寒かったです。
 指先がジンジンするくらい凍てつきました。
 なので、境内を出るととりあえず茶店に飛び込み「なんでもいいから温かい食べ物」を探して…これ頼みました。

 あぶらげ乗ってるキツネソバ…「味」よりもその「熱」が旨かった。(笑)


 榛名湖です。折角なので上がってきました。
 ア~ちゃん、シュ~ちゃんとの思い出の場所でもあるし・・・^^)v
 氷が張っているかと思いましたが、まだ全然駄目でした。
 昔は氷上わかざぎ釣りなんぞもしたものですが、最近は出来ない年もあります。
 寒い寒いとは言いますが、それでも昔に比べるとやっぱり内輪なんですね。
 そう言えば、冬の榛名湖と言えば、湖上に天然の「スケートリンク」が出来るはずなのですが、今でもスケートってできるのでしょうか。
 ワカサギ釣りは話題になるけどスケートの方はあまり聞きません。意識もしていなかったです。


 氷は張っていませんでしたが、雪はそこそこありました。
 ノーマルタイヤでやって来た車が周遊道路でツルツル滑ってました。(笑)
 榛名山くらいって甘く見ちゃいけません。

 伊香保の温泉街です。
 奥には上信越国境、片品の雪山が見えます。
 ズームアップするとこんな感じ。

 山の起伏が激しくなった途端に雪になるのですから不思議なもんですね。

 ということで、年末の「ちょっと榛名へ」これにてお仕舞いです。(汗)
 ついでに2010年のお写真もようやくこれで終わりました。
 (でも2011年・・・撮ってないです。どうしよう・・・^^;)

 あっ、ペロ撮ってくるの忘れた!^^;

 < Nikon D700 + Sigma 24mm F1.8 EX DG MACRO 他 >

2010-12-29

Many countries,many Customs.

 英語でいうと「So many countries, so many customs」
 古くは、「難波の芦は、伊勢の浜荻」。
 で、今風に言うと「所変われば品変わる」などと申しますが、先日、友人の葬式に行き、改めてそれを感じたものです。(ん?今風じゃなく・・・昔から言うか・・・^^;)
 いえ、場所は同じ群馬県内ですから、そんな度肝を抜かれたなんていうほどの驚きや違いはなかったのですが、それでも正直に言えば、少し驚きました。

 「葬儀」は午後1時からと事前に連絡を受けていました。
 場所は「赤堀町」(合併して現在は伊勢崎市)くりまんじゅうの住む群馬県西端の安中市からは東に向かって約30キロ弱の距離でしょうか…
 11時に家を出て、高崎市街地を抜けるのに少し時間が掛かりましたが、式場に到着したのは30分前の12:30分でした。
 駐車場はまだガラガラ…殆ど、空いていました。
 「まだ、みんな来ていないのかなぁ・・・」と思いつつ、車を降りて葬祭ホールの入口へ入っていくと…???

 はて?
 左奥の式場では既に2、30名ほどの礼装した人たちが椅子に座り、お坊さんが熱心にお経を上げているのです。
 「あちゃっ!時間を間違えたか?」とすぐ脇にあった案内板を見てみると、そこには「*川様 葬儀・告別式:13:00~14:00」と書かれており、どうやら時間を間違ったわけではありません。
 理由が分からないままとりあえず受け付けに進むと、そこに待っていたのは「記帳」スペース…
 うーん、結婚式は当たり前でも、葬式に「記帳」というのは余り記憶にありませんでした。
 芳名帳に目をやると、しかし、皆さん、ご達筆です。
 字下手のくりまんじゅう恥ずかしいです。(きっと、Aッ子先生やyukiさんも恥ずかしいでしょう・・・^^;)
 しかも、テーブルに置かれた3つほどある芳名帳の向こう側には1つに一人ずつ厳かな顔で記帳を見守っています。
 「ぐわっ、これで筆ペンとかだったら地獄だな…」と思いつつ、筆記具を見たらマジックペンで多少、心も和みました。(汗)
 緊張しつつ記帳を済ませると、先に進みます。
 そこで香典をお渡しして小さな紙の札を頂きました。

 でも、困ったのはその後です。
 いや、そのまま式場に入っていいのか、それとも今やっている儀式は身内だけのものであり、家族親族以外の者は入場しないのがしきたりなのか礼儀なのか…その辺、まったくもってわからないのです。
 かと言って受付前で立ち尽くしているのも変なので、とりあえずトイレへと一旦逃げ込み(汗)、ちょっと離れた場所から他の方がどうするのか様子を見てみることに致しました。

 うーん、基本的に誰も入っていきません。
 ドアの開き放たれた式場では、相変わらず僧侶がお経を唱えておりましたが、ポツポツと訪れてくる人も受付を済ませると壁際に置かれたソファに座ったり、休憩スペースへと向かっていました。

 そのうちに他の同級生たちや37SUさんも姿を見せ、少し離れた場所で立ち話していると式場からは「それでは親族の皆様はご焼香をお願い致します」の司会の方の声が聞こえてきました。
 焼香…???
 そのアナウンスに、思わず37suさんと顔を見合わせ、式場へと急ぎました。
 前の方に着席して腕時計の時間を見ると12時55分。
 親族の方が焼香している最中、背後の席にもぞくぞくと集まってくるのが雰囲気で分かりました。

 そして、13:00の予定時刻。
 「只今をもちまして故・****様の葬儀を終了し、これより故・****様の告別式を執り行います」
 司会の方がそう言いました。

 なるほど…葬儀と告別式をきちんと分離しているのですね。
 この時点でようやくその仕組みがわかりました。
 その後の告別式では弔辞が読まれ、喪主が挨拶をして、後は参列者の焼香だけになります。実にスピーディな進行です。

 その後、ちょっとネットで調べたら、本来はこの形が元々の姿であるそうです。
 すなわち、「葬儀」は、遺族や親近者が故人の冥福・成仏する事をお祈りする儀式であり、「告別式」は、知人や友人が故人とのお別れをする儀式。
 なので、告別式は、葬儀の後にあらためて行われる式だったそうです。
 言われてみればなるほどですが、初めての経験でした。

 そう言えば、群馬を離れて30年の37suさんは受付の『一般』と『新生活』に悩んでおりました。^^;
 「新生活って一体…何?」って…^^;
 群馬ではほぼ県全域で当たり前になっているお葬式の「新生活」受け付けですが、全国的にはまず通じない制度だそうです。
 自分自身は経験したことがなかったけれど、以前、知人が「恥かいた」と話していて、その時、ネットで調べてそれを知りました。

 群馬県民の方にはわざわざ説明する必要はないかと思いますが、「新生活」とは、けっして、「新しく一人暮らしを始める大学生や社会人、はたまた新婚さんはこちらで香典を!」ってわけではなく、簡単に言ってしまえば、「香典返し無し」の香典です。

 もう少し詳しく言うと…
 戦後、全国の婦人会や青年団が冠婚葬祭の簡素化や封建的因習を壊し、衣食住など生活の合理化に取り組みました。
 すなわち、虚礼などを廃止して、生活を合理化、近代化しようとするいわゆる「社会運動」ってやつですね。
 で、この動きを当時の鳩山一郎内閣が「これからの日本の国家再建には合理化であり近代化だ!」と提唱したのが「新生活運動」。今から55年前、1955年の事です。
 しかし、その後の日本はまさに高度経済成長に突入。
 その合言葉は「消費は美徳」。
 当然のごとく、そんな運動は徐々に姿を消していきました。
 それでも、そんな慣習が全国でも珍しく細々と続いているのが、群馬などの「香典返し無し」の「新生活」制度なわけなのです。
 (でも、未成年の頃は「家族が亡くなって新しい生活が始まる」っていう意味なのかとも思ってました。)

 群馬県民じゃないと馴染まない制度ですよね。^^;
 ただ、香典の額とかお聞きしなかったけど「香典返しはいりません」って言う理由だけで、一般用の金額を「新生活」として出すのも、遺族としてはこれはこれで困るので、その辺は今後、お間違いのないよう…^^; >37suさん

 しかし、冠婚葬祭は色々と難しいものです。
 以前、何宗だか分かりませんが、縁戚の葬式で読経の最中に突然、突然甲高い「奇声」というか「雄叫び」を上げるお坊さんがおりまして、これが見事に「笑いのツボ」に入ってしまったもので、不謹慎と思いつつもそれを堪えるのが地獄でした。^^;
 こりゃ「難しい」とは意味が違うか!(汗)
 でも、そんな経験ありませんか?^^;

 本文とはまったく関係ありませんが、お写真は12/14の散歩写真。
 散髪に行ったら混んでいて時間潰しでちょっとブラブラ…^^;

 しかし、つまらん話につまらん写真・・・すみません。(汗)

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