古くは、「難波の芦は、伊勢の浜荻」。
で、今風に言うと「所変われば品変わる」などと申しますが、先日、友人の葬式に行き、改めてそれを感じたものです。(ん?今風じゃなく・・・昔から言うか・・・^^;)
いえ、場所は同じ群馬県内ですから、そんな度肝を抜かれたなんていうほどの驚きや違いはなかったのですが、それでも正直に言えば、少し驚きました。
「葬儀」は午後1時からと事前に連絡を受けていました。
場所は「赤堀町」(合併して現在は伊勢崎市)くりまんじゅうの住む群馬県西端の安中市からは東に向かって約30キロ弱の距離でしょうか…
11時に家を出て、高崎市街地を抜けるのに少し時間が掛かりましたが、式場に到着したのは30分前の12:30分でした。
駐車場はまだガラガラ…殆ど、空いていました。
「まだ、みんな来ていないのかなぁ・・・」と思いつつ、車を降りて葬祭ホールの入口へ入っていくと…???
はて?
左奥の式場では既に2、30名ほどの礼装した人たちが椅子に座り、お坊さんが熱心にお経を上げているのです。
「あちゃっ!時間を間違えたか?」とすぐ脇にあった案内板を見てみると、そこには「*川様 葬儀・告別式:13:00~14:00」と書かれており、どうやら時間を間違ったわけではありません。
理由が分からないままとりあえず受け付けに進むと、そこに待っていたのは「記帳」スペース…
うーん、結婚式は当たり前でも、葬式に「記帳」というのは余り記憶にありませんでした。
芳名帳に目をやると、しかし、皆さん、ご達筆です。
字下手のくりまんじゅう恥ずかしいです。(きっと、Aッ子先生やyukiさんも恥ずかしいでしょう・・・^^;)
しかも、テーブルに置かれた3つほどある芳名帳の向こう側には1つに一人ずつ厳かな顔で記帳を見守っています。
「ぐわっ、これで筆ペンとかだったら地獄だな…」と思いつつ、筆記具を見たらマジックペンで多少、心も和みました。(汗)
緊張しつつ記帳を済ませると、先に進みます。
そこで香典をお渡しして小さな紙の札を頂きました。
でも、困ったのはその後です。
いや、そのまま式場に入っていいのか、それとも今やっている儀式は身内だけのものであり、家族親族以外の者は入場しないのがしきたりなのか礼儀なのか…その辺、まったくもってわからないのです。
かと言って受付前で立ち尽くしているのも変なので、とりあえずトイレへと一旦逃げ込み(汗)、ちょっと離れた場所から他の方がどうするのか様子を見てみることに致しました。
うーん、基本的に誰も入っていきません。
ドアの開き放たれた式場では、相変わらず僧侶がお経を唱えておりましたが、ポツポツと訪れてくる人も受付を済ませると壁際に置かれたソファに座ったり、休憩スペースへと向かっていました。
そのうちに他の同級生たちや37SUさんも姿を見せ、少し離れた場所で立ち話していると式場からは「それでは親族の皆様はご焼香をお願い致します」の司会の方の声が聞こえてきました。
焼香…???
そのアナウンスに、思わず37suさんと顔を見合わせ、式場へと急ぎました。
前の方に着席して腕時計の時間を見ると12時55分。
親族の方が焼香している最中、背後の席にもぞくぞくと集まってくるのが雰囲気で分かりました。
そして、13:00の予定時刻。
「只今をもちまして故・****様の葬儀を終了し、これより故・****様の告別式を執り行います」
司会の方がそう言いました。
なるほど…葬儀と告別式をきちんと分離しているのですね。
この時点でようやくその仕組みがわかりました。
その後の告別式では弔辞が読まれ、喪主が挨拶をして、後は参列者の焼香だけになります。実にスピーディな進行です。
その後、ちょっとネットで調べたら、本来はこの形が元々の姿であるそうです。
すなわち、「葬儀」は、遺族や親近者が故人の冥福・成仏する事をお祈りする儀式であり、「告別式」は、知人や友人が故人とのお別れをする儀式。
なので、告別式は、葬儀の後にあらためて行われる式だったそうです。
言われてみればなるほどですが、初めての経験でした。
そう言えば、群馬を離れて30年の37suさんは受付の『一般』と『新生活』に悩んでおりました。^^;
「新生活って一体…何?」って…^^;
群馬ではほぼ県全域で当たり前になっているお葬式の「新生活」受け付けですが、全国的にはまず通じない制度だそうです。
自分自身は経験したことがなかったけれど、以前、知人が「恥かいた」と話していて、その時、ネットで調べてそれを知りました。
群馬県民の方にはわざわざ説明する必要はないかと思いますが、「新生活」とは、けっして、「新しく一人暮らしを始める大学生や社会人、はたまた新婚さんはこちらで香典を!」ってわけではなく、簡単に言ってしまえば、「香典返し無し」の香典です。
もう少し詳しく言うと…
戦後、全国の婦人会や青年団が冠婚葬祭の簡素化や封建的因習を壊し、衣食住など生活の合理化に取り組みました。
すなわち、虚礼などを廃止して、生活を合理化、近代化しようとするいわゆる「社会運動」ってやつですね。
で、この動きを当時の鳩山一郎内閣が「これからの日本の国家再建には合理化であり近代化だ!」と提唱したのが「新生活運動」。今から55年前、1955年の事です。
しかし、その後の日本はまさに高度経済成長に突入。
その合言葉は「消費は美徳」。
当然のごとく、そんな運動は徐々に姿を消していきました。
それでも、そんな慣習が全国でも珍しく細々と続いているのが、群馬などの「香典返し無し」の「新生活」制度なわけなのです。
(でも、未成年の頃は「家族が亡くなって新しい生活が始まる」っていう意味なのかとも思ってました。)
群馬県民じゃないと馴染まない制度ですよね。^^;
ただ、香典の額とかお聞きしなかったけど「香典返しはいりません」って言う理由だけで、一般用の金額を「新生活」として出すのも、遺族としてはこれはこれで困るので、その辺は今後、お間違いのないよう…^^; >37suさん
しかし、冠婚葬祭は色々と難しいものです。
以前、何宗だか分かりませんが、縁戚の葬式で読経の最中に突然、突然甲高い「奇声」というか「雄叫び」を上げるお坊さんがおりまして、これが見事に「笑いのツボ」に入ってしまったもので、不謹慎と思いつつもそれを堪えるのが地獄でした。^^;
こりゃ「難しい」とは意味が違うか!(汗)
でも、そんな経験ありませんか?^^;
本文とはまったく関係ありませんが、お写真は12/14の散歩写真。
散髪に行ったら混んでいて時間潰しでちょっとブラブラ…^^;
しかし、つまらん話につまらん写真・・・すみません。(汗)
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