2012-02-27
茨城へ NO.4
ということで、お昼はこちらへ連れてきて頂きました。
距離にしてオリバー家から約3キロ。
農協さんが営んでいる「こめ工房」です。(あっ、チャップとオリバーは二人で仲良くお留守番です。)
地元のお米や農産物を直販しているお店ですが、人気はこちらのレストランコーナー。
日曜日ということもありとても込み合っていました。
こちらの売りはなんといってもお米。
肥沃な土壌のもと,農薬や化学肥料を減らして特別に栽培されたコシヒカリ「天恵こがね米」が味わえるそうです。
ご飯は薪を使い、かまど炊き。
ついでにご飯のおかわりは何杯でも自由!だそうです。
まぁ、そんな何杯も食べられないけれど・・・^^;
どうでもいいことですが、頭上にはこんな飾りつけもあります。(笑)
微妙に農協テーストが漂います。
古代米のおにぎりです。
一見、赤飯のようですが、赤飯ではありません。
頂いてみると独特の香りと酸味がありました。いわゆる健康ブームの産物ってやつでしょうか。
で、メインのお食事は全員、『鳥の唐揚げ定食』(笑)
写真ではイマイチお伝えできませんが、味はいいのですが、凄いボリュームでした。^^;
もし2、30年若ければ、ご飯をお代わりしてガンガン食べられたでしょうが、さすがにもう無理です。
途中から食事というより格闘になり、終盤戦に入る頃、心苦しくも白旗上げました。(汗)
しかし、完食できないと敗北感が込み上げてきます。
ごめんなさい。鳥さん、そして、農家の人!^^;
しかし、子供がいると食事中も実に賑やかですね。
楽しいものです。
小食あ~ちゃんも頑張って食べていましたが、やはり無理のようで「もうダメ!食べられない!」を連発していました。
ちなみにしゅ~ちゃんについては触れないことにいたします。(笑)
ガラスに写るトイレです。(笑)
もちろん、なんの意味もございません。^^;
季節感を出す為に水仙の花でも。
とはいえ、残念ながら咲いていたのではなく、店先で売っていた切り花です。
きっとハウス栽培モノなのでしょうね。
さーて、お腹も一杯になったので次に行きましょう。
ということで本日もまたまたここまで。
続きます・・・
< Nikon D40x +AF-S NIKKOR 50mm F1.4G >
登録:
コメントの投稿 (Atom)
古代米は,学校給食でも使われています。
返信削除“赤米”とか,“黒米”とか,微妙に色が違うものが数多く出回っており
ほとんどのJA直売所で買うことができます。
…といっても,この現象(?)はJAみずほだけなんでしょうかなぁ?
あの唐揚げ定食は,本当に食べた人にしかわからないボリュームでした^^;
いつもは,あの時売り切れていた“おにぎりセット”を頼んでいます。
それに,定食を2~3つ。
おかずはみんなでシェアすればみんな満腹!なわけでして。
さすがにお客様に「おかずはみんなで分けましょう!」は失礼かと思い
あんなにオーダーしてしまいました。
まぁ,話の(ブログの)ネタにはちょうどいいでしょうか^^;
オリバーママさん、おはようございます。
削除考えてみると「古代米」ってやつを食べたのは、この時、生涯初だったかもしれません。
いや、いい経験をさせて頂きました。(笑)
しかし、今や給食でも古代米ですか。
給食に米が出て来なかったくりまん世代からすると隔世の感がいたします。^^;
“おにぎりセット”
いや、今の時代に「売り切れ」って現象が起こる事自体が素晴らしいです。
ご地元の農協さん、努力している証拠ですね。
唐揚げ…
美味しかったけれど、あの量にはまいりました。(汗)
給食はご飯か?パンか?
削除米飯給食が増えたのはいつ頃からなのでしょうか…
そう言われてみれば,私が小学生だった時もパンが多かったように感じます。
ご飯は週に1回。
麺(ソフトめん)も週1回。
今は,水曜日がパン,金曜日が麺またはパンとなっていて
それ以外はご飯が主食です。
“備蓄米”が使われているの?なんて言われていたこともありましたが
地産地消がブーム(?)の現在,学校給食に使われているお米は,基本茨城産のようです。
“常陸太田学校給食の日”によく出る古代米。
それをメインに,エゴマの和え物,鮭の幽庵焼き,太田けんちん汁,牛乳がついて一食260円。
本当に給食様々です!
皆さんの好きな(もう一度食べたい)給食メニューって,どういうものがあるんでしょうね?
薄い記憶を辿ってみると…
削除小学校低学年の時はただひたすらコッペパンだったように思います。
飲料も牛乳じゃなく脱脂粉乳?^^;
4、5年生辺りから月に2、3度、「アゲパン」や「三色パン」が出てきたような憶えがあります。
偶然なのでしょうが、うちの近所の同級生はアゲパンの時に何故か学校を休み、常にくりまんじゅうが家に届けたのですが、その度にわら半紙に包まれたアゲパンから油がしみ出して、教科書が油まみれになったことははっきりと憶えております。(汗)
ご飯は…
うーん、6年生の3学期の時に「次年度より給食にコメを出すその実験」として1度だけ出たような記憶もあるのですが、はっきりとは思い出せません。
好きだったメニューの記憶は残っていませんが、嫌いだったのは「おから」です。(笑)
とにかく、死ぬほど不味くて今でもおからは苦手な食べ物の旗頭です。
ちなみに肝油ドロップって今でも給食に出るのでしょうか?(笑)
甘くて最初は硬いのだけど次第にグミのようにくにゅくにゅになっていくあのドロップです。
給食の時に食べずに、授業中に隠れて食べるのが楽しかった。^^;
肝油ドロップ!
削除幼稚園を風邪でお休みすると,先生からのお見舞いのメッセージカードが届き
それに肝油ドロップが3粒入った小袋がホチキスで留めてありました。
全体が黄色で,モノクロで赤ちゃんの顔がプリントされていた缶。
確かふたは水色。
オリバーママは買ってもらったことがないので,ちょっとあこがれの肝油ドロップ。
幼稚園のお休みも,そのドロップのおかげで今ではいい思い出です。
そんな思い出の肝油ドロップが給食に出ていたなんて~~~!
私が住んでいた日立市ではなかったです。
もちろん,常陸太田市も。
現在,給食で出している市町村はないのでは…!?
私のクラスの子供たちに聞いたら,
「肝油ドロップ?なんっすか,それ?」だそうです^^;
肝油ドロップ!出ませんでしたか。^^;
削除で、今朝、ぶ~こに「給食に肝油ドロップ出たよね」と尋ねたら…
「なにそれ?知らなぁ~い!」と言われてしまいました。^^;
年齢は一つしか違わないのだけれど、市が違うと給食メニューも違うみたいですね。
ついでに言うと「メルミルク」も知らないといいます。(メグじゃないです)
牛乳を少しだけ飲んでから入れる粉末コーヒー。
箸でグルグルしても、なかなかかき混ぜらなかった。(笑)
懐かしい思い出です。
メルミルク→ミルメークとして今も頑張っています!
削除四角いパックのストロー口にチューブの口を差し込んで
コーヒー味のシロップをイン!
コーヒー牛乳とは違った,でもコーヒー風味のおいしい牛乳のできあがりです!
くりまんじゅうさんは,自校給食ですか~!
うらやましいです。
給食室から3時間目の頃にはいい香りが…
そんな経験,オリバーママはありません。
現在,学校給食はほぼセンター方式をとっています。
1400人オーバーの大規模校にもなると,センター=自校状態のところもあるようですが。
常陸太田市はもちろんセンター方式。
献立は各市町村ごとに特色があって楽しいです。
学校給食コンテストなるものもあって,各市町村の栄養士,栄養教諭が郷土色豊かな献立を考えています。
そういえば,茨城県で1位をとった献立の主食は“むかごご飯”でした。
もちろん,常陸太田市もメニューです!
うーん、名称は「ミルメーク」が正しかったかもしれません。(汗)
削除wikiで調べてみたら、まさにそのものずばり!
しかも、本来、給食の脱脂粉乳を飲みやすい味にする商品として開発されたものだそうですが、牛乳に変わってからも変わらずに提供されているそうです。
ストロー口からチューブを差し込むタイプっていのはテトラポット用とも書かれていましたが、今、学校給食の牛乳はテトラポット形状に戻ったのでしょうか?
そんなこともまったく知りません。^^;
給食室から漂う美味しそうな匂い…(笑)
そう言われますとそんなような記憶もあるような気もいたしますが、くりまんじゅうの通っていた小学校は1000名越えのそこそこのマンモス校でもあった為に香りが漂うにはちょっと大きすぎた感じです。
もちろん、給食室のそばに行けば匂いましたが、記憶に残っているのは、匂いよりもとにかくデカイ鍋をデカイしゃもじ抱えて必死にかきまぜている給食のオバサンの姿の方です。
むかごご飯とはまたこ洒落れてますね。
もちろん、子供の頃など食したことはありませんです。^^;
くりまんちゃんは、脱脂粉乳世代?
返信削除あれ?うちの兄は1年の頃少しだけ飲んだ記憶があると言ってましたが、私は知らない世代です。
アルミのデカイポット(ホーローの珈琲をたてる時にお湯を注ぐやつみたいな形状でもっと大きい)が給食用具箱に残っていた記憶はあるのですが、使った事無いです。
カン油ドロップは幼稚園でもらったような、買ったような。
肝油(かんゆ)って、タラやサメ、エイの肝臓に含まれる液体、およびそれから抽出した脂肪分なんだそうですね。
カン油が「液体」で学校で飲まされたのは、第二次大戦後の食糧事情が悪かった時の話だそうですけどね。
はりーさん、どもです。
削除給食ってのは結構地域差があるみたいですね。
特に給食センターがあるような市町村は給食の近代化?も早かったみたいです。
うちの小学校は学校の片隅に給食室があって、栄養士のオバチャンが献立を作っていたのかもしれません。
なので、戦後メニューが昭和40年代まで、色々と残っていたのかも?と推測します。(が、本当のところは分かりません。^^;)
小学校1年の時はその「デカイポット」だったように記憶しています。
そして、2年か3年にテトラポット形状の牛乳に変わり、その後瓶になりました。
肝油ドロップははいわゆる今で言うビタミン剤みたいなものだったのでしょう。
けして美味しいものではなかったのでしょうが、しかし、学校でお菓子形状のものを食べるという行為が子供心をくすぐりました。(笑)
うちのほうは、給食は各校で作ってました。
削除私の叔母が給食のおばさんで、最低7-8年前までは現役でした(センター給食ではなくて)
今はどうか知りませんが、新市長(後輩なんですが)が中学給食をやると言ってますが、これはセンター方式でないとできないだろうとは言ってます(設備を置く場所が無いから)
まだ小学校は各校で作っていると思ってます(未確認)
県の意向とかもあるのでしょうね。
お米の給食は卒業までに2-3回出たぐらいしか記憶がありませんが、今は週1-2回お米だと思います。
例のコッペパンが9割で、きな粉パン、チョコパン、揚げパン、食パンもたまにあったなぁ。
「自校給食」なる専門用語、本日、オリバーママさんより教わりました。(笑)
削除はりーさんのコメントを見て、ふと思ったのですが、この地域の(公立)中学校って今は給食なのでしょうか?それともまだお弁当?
教えてください!>ご存知の安中市民。(笑)
コッペパンが9割で、きな粉パン、チョコパン、揚げパン、食パンもたまにあったというのは同感です。
その他にも三色パンなんてのもありました。ジャム、クリーム、餡子が入っているパンが3つつながっているヤツ。滅多に出なかったけれど嬉しかった。(笑)
しかし、今考えるとやっぱり当時の食生活って言うのは乏しかったのかもしれませんね。
>自校給食
削除「時効警察」を思い出した...意味なし(汗)
三色パンなんて無かったなぁ。
小型のコッペパン(2個セット)はありました。
今の食生活から言ったら、子供のころは貧しかったです。
うちは、ばぁちゃんが主婦だったので(お袋は仕事してましたから)
白菜の炊いたのが2-3日続くとか有りました(笑)
家の南が「魚の棚商店街」でしたので、魚比率も高かったです。
時効警察ってなんだ?と思ってネット検索してみたらドラマですか。(笑)
削除えっ、「麻木久仁子」がヒロイン?と思ったら「麻生久美子」でした。(爆)
まっ、別にいいですけど…^^;
三色パン無かったですか。脱脂粉乳世代ですが、こんなところは新しいのかな。(笑)
くりまんじゅうも両親が自営で働いていたので、食べるものは、ほぼすべて「バアチャン」仕様でした。
ハンバーグ、スパゲティ、カレーじゃなくて肉じゃが、冷麦、雑炊でしたね。
洋風なものを口にしたのって高校生になってからかもしれません。(汗)
あっ、でも、叔父が市場でマグロの中卸をしていたので、マグロだけは子供の頃から「もう、マグロは嫌だ!見たくもない!」ってくらい食べてました。
今でもマグロは贅沢品なのかもしれませんが、一週間とか続けてマグロ三昧な食事は嫌気が差したものです。^^;
なので今でもマグロは中トロを1、2枚くらいが適量です。^^;