日付は春真っ盛りの「2005年4月25日」。
ところで、この時一緒に妻籠宿も寄ったはず…と思ったのですが、何故か写真が一枚もありません。
うーん、はて?どうしてだろう・・・
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通常、馬篭(や妻籠)に関東側から行くには、中央高速で中央アルプスを恵那山トンネルでパスして、岐阜の中津川ICで高速を下車。
そこからちょいと北上するのが一般的なのですが、上の写真を見るとそのルートを通ってないことがわかります。
よくよく考えてようやく思い出せました。(汗)
そう言えば、いつもより早めに家を出たのですが、木曽山脈越えに時間が掛かり馬籠に着いたのはお昼もだいぶ廻った頃でした。
すみません。勘違いでした。また別の時でした。(汗)
馬籠宿に着き、「あぁ、腹へった!」と、とりあえずここで蕎麦を食べました。
当時、「食べ物写真」とか撮る習性なかたったので(笑)、どんな蕎麦を食べたとかは分かりません。
当時、「食べ物写真」とか撮る習性なかたったので(笑)、どんな蕎麦を食べたとかは分かりません。
ついでに言えば、美味い不味いの記憶もないです。^^;
なんか普通の蕎麦だったような・・・(汗)
『中山道は、はじめ「中仙道」と書かれていたが、本州の中部山岳地帯を貫いている道路ということから。享保元年(1716)以降、「中山道」と書き改め、やはり「なかせんどう」と読まれた。』とあります。
ということは群馬は享保元年以前のまま?(笑)
石畳の両側にお土産物屋がならび、丁度中間地点に藤村記念館(旧本陣・島崎藤村生家跡)がある。商いをしていない一般の家でも当時の屋号が表札のほかにかけられている。』
蜂の巣ですよね。
実際、馬籠・妻籠は群馬(安中)から行くには身近な観光地なので、これまでも様々な旅行で来ているので目新しさはありませんが、それでもやはりこの身に流れているのは日本人の血なのでしょうか、石田畳の街並みにその趣と味わい深さを感じます。
2時間ほど散策、帰りは中津川ICから素直に高速乗って帰ったはずです。
< SONY Cybershot DSC-P5 >
えっと、僭越ながら・・・
返信削除最後のは『杉玉』では?
杉玉は、新酒ができたときに、その印として造り酒屋の表に飾ります。そのまま飾っているので、酒屋のシンボルみたいになっています。
ど真ん中にこんなに都合よくと思いましたが、なるほど…そういうものですか?
返信削除いや、勉強になりました。m(_ _)m