2012-03-31

With Mr.37su NO.3

 (With Mr.37su NO.2からの続きです…)

 めがね橋を後にして、続いて向かった先は霧積湖でした。
 まぁ、地元民も滅多矢鱈には訪れない場所です。^^;



 実際、くりまんじゅうも生涯これが3度目か4度目です。
 当然、37su氏は初訪問とのことでした。



 深い自然に囲まれ人工的な建築物はさらに山奥へ続く道路以外に何も見つけられません。
 と言っても、霧積湖は自然湖ではなくダム湖です。
 車も通れるダムの上から撮っています。



 雪解け水なのか、なかなか豊かな放水量でした。



 水がキラキラと光って綺麗でした。
 しかし、ここゆめなかが「フォト系」ブログだったりしたら、2枚目、3枚目のような説明的な写真は使わないのだろうけど、そうすると何が何だかわからなくなってしまうので、いいのです、(笑)



 さらに山奥へ離合も苦しむ細い悪路を約7,8キロ。
 霧積川の上流、原生林に囲まれた山渓の秘湯秘湯霧積温泉に二軒ある旅館の一つ、『霧積館』にも行ってみました。
 どんだけ山ん中だ!というような山奥です。



 しかし「ごめんくださ~い!」と玄関を潜り、「い~い湯だな♪」とお風呂に入ったわけではありません。^^;
 実は『霧積館』の玄関には「都合により当分の間休業いたします。」と書かれた張り紙がされていました。
 ただ、「館内の電話は通じているのでご自由にお使いください」と追記され、鍵は掛かっていませんでしたのでちょっと中を覗かせて頂きました。
 しかし、最初は「冬季休業」なのかと思いましたが、どうもそうじゃなさそうです。詳しいことは分かりませんが、「都合」により「当分の間」休業だそうです。^^;



 この六角形の建物は霧積館の名物でもあるお風呂です。
 六角形の浴場に六角形のお風呂があります。
 旅館の建物とはうってかわってなぜか風呂だけモダンな造りなのです。
 与謝野晶子の「はつあきの霧積山の石亭 六方の窓霧にふさがる」という歌にも詠まれたかってこの地にあった共同浴場を再現したものだそうです。
 実は20年ほど前に一度だけ入ったことがあります。
明治時代は先端リゾート地だった霧積。なので、こんなモダンなお風呂があったのかもしれませんねぇ。



 霧積といえば、やっぱりこの斎場八十の「帽子」でしょう。
 いや、というより、この詩を読み広めたのは森村誠一氏の「人間の証明」ですね。



 森村誠一氏が大学生であった当時、霧積館の更に奥にあるもう一軒の旅館、金湯館に宿泊しハイキングに出掛けたそうです。
 そして、軽井沢へと向かう山の頂きで宿のお弁当の包み紙に刷られていた、“母さん僕のあの帽子どうしたでせうね。ええ、夏碓氷から霧積へ行く道で渓谷へ落とした、あの麦わら帽子ですよ。。。”で始まる、西条八十の“帽子”の詩が目に留まり、それから20年以上経った、昭和50年代の初めに大ヒットした“人間の証明”を世に出すに至ったのだそうです。

 「ママ~♪ドゥユ~リメンバ~♪」とつい口ずさみたくなりました。^^;



太平洋側気候に属する場所ですが、さすがに標高1080mの地ですので、3月半ば過ぎでも雪はバッチリ残っています。
特に今年は雪が多かったそうで、最盛時は50センチ以上の積雪があったそうです。



 37suさん、狙っています。
 狙う姿も男前です。(笑)



 石碑がありました。以前からあったのか憶えがありません。



 しかし、なぜかその傍らに「越乃寒梅」の空き瓶。(笑)
 意味不明です。^^;



 再び狙っています。(笑)



 狙っていた獲物はこれでした。(笑)

 続きます・・・

 < Nikon D700 + NIKKOR VR28-300mm F3.5-5.6G >

2 件のコメント:

  1. Kiss me!の霧積温泉ですね。
    今となってはアフォたれ角川春樹もその手下の森村誠一も懐かしいだけ。
    I remember the old straw hat (汁

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    1. そういえば、キスミーとストーハがキーワードでしたね。
      昔は森村誠一もよく読んでいましたが、今はさっぱりです。
      というより、森村氏もそろそろ80歳になるのじゃないでしょうか。
      新作とか書いているのかなぁ?^^;

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