歳を重ねるということは、喜びも悲しみも一緒に重ねていくということなのですね。そして、悲しみが少しずつ増えていく・・・最近、しみじみとそう感じます。
 今朝、また、お世話になった人がこの世を去りました。享年六十三、まだまだ若過ぎる歳でした。
 近所の酒屋さんのご主人、同時に三十数年前、英語を教えていただいた塾の先生でもあります。少し変わっていたけれど、とても楽しい先生であり、そしてなにより魅力的な「人」でした。
 塾というよりも私学校と言う方が正しいかもしれません。
 僕らの学年はゆうちゃん、シンペイ、おおて、わたっちゃん、そして僕の5人だけ。授業中は、傍らに竹じのを持っていて、それでビシビシ叩くスパルタ教育。けれど、それは授業中だけの話。勉強が終わればまるで友達のように一緒に遊んでくれました。
 中学三年間分のカリキュラムは二年生までに全て終え、三年生の時には、それこそ、そこは僕らの「遊び場」だったかもしれません。
 「家では勉強しろって言われてんだろ!なら、ここへ来た時くらい遊んでろ!」
 小児麻痺で片手が不自由だったにもかかわらず、そんなことは微塵も感じさせない人でした。
 真夏の暑い日、自転車に乗りキャンプに行き、自分たちでテントを張ることも、飯盒で飯を炊くことも皆そこで教えてもらいました。アマチュア無線を教えてもらい、免許を取ったのもそうです。掃除の仕方や食事の仕方も教わりました。
「いいか、コーヒーは後から砂糖をいれるんじゃねぇ。一緒にカップに入れといて、そこに熱いお湯を注ぐんだ!」
 インスタントコーヒーの入れ方にはそんなこだわりを持った人でした。
 中学を卒業しても、可愛がってもらった僕たちは、そのままユネスコの英会話教室に誘われ、塾生全員一緒に通いました。
 それからは、今度は「一緒のクラスメート」、先生ではなく、まるで友達のように接してくれました。
 これは大学に行く為に群馬を離れる前日の「お別れ会」で書いてもらった色紙です。
 『いつでも物事の本質を見つめられる余裕のある人って良いね。一歩一歩自分のペースで歩ける人って素晴らしいと思うよ。 悟』
 今でも会社の事務所に飾ってあります。この頃、今の僕より10も若い歳だったのに・・・
 でも、先生、ずるいよ。何にも言わずに勝手に逝っちゃうなんてさ…いくらなんでも早すぎるだろ。
 考えてみたら、一言のお礼も言えてないじゃない。
 だから、だから遅いんだけれど、30年ぶりに「天国」に向かって通信してみます。間違っていたら、ごめんなさい。
 「Hello CQ CQ CQ。hello CQ。こちらJE1ZYZ。ジュリエット、エコー、ワン、ズル、ヤンキー、ズル」
 「JA1IWI、ジュリエット、アルファ、ワン、インディア、ウイスキー、インディア。Meritありますか? JA1IWI、聞こえますか?お伝えしたいことがあります。いいですか?」
 「ありがとう。先生、本当にありがとうございました。色紙の言葉、死ぬまで忘れません。本当にありがとうございました…そして、安らかにお眠りください。73(セブンティスリー)。over」
 もし、聞こえていたら幸いです。
 そして、色紙の脇に忘れないように「ベシ」も書いておきます。
 

 

確かに・・。ことばがありません。早すぎます。いっぱい、いっぱい、いろいろな事を教えて頂きました。つらいお別れになりますね。
返信削除MUJ
いつも笑顔だった。
返信削除タバコ片手に片手はポッケ…
やさしい笑顔で子ども達を見守って下さって…
本当に早すぎます。
花輪出しておきました。
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