朝、7時前に本日のブログ更新を済ませるとまだ半分眠っているぶ~こに「ちょっと散歩に行ってくるね」と告げて、ご近所桜の散策へと、再び出かけました。
前回の「ご近所・桜」は、二日前(4/3)でした。けれど、たった二日でどこの桜も一気に満開近くへ花開いていました。
前回とは少し巡り方を代え、最初に訪れたのは傳馬町公民館の裏。
一昨年、閉店してしまった川上食堂と公民館の間の狭い路地を入っていきます。
ここの桜、植えられて六十年になるそうです。
桜の隣に住んでいる奥さんが「私が小学校二年生の時に植えたのよ…」とおっしゃってました。
「この季節、これから十日くらいはお掃除が大変なの」
そう言いながら、箒を持って掃除をされていました。
また昔はもっと沢山、植えられていたそうです。枯れたり、また間引いたりして、現在の姿になっています。三十数年前、くりまんじゅうやマイケルもこの公民館で「ラジオ体操」やったり、様々な子供会行事に参加してました。そんな思い出の場所です。
石段の途中に古い半鐘があります。中山道、安中宿として作られた傳馬町というこの地区は何故か昔から火事が多い場所。境内にはそのお守りとして三社様(石川、三峰、秋葉)が祀られています。
「大手の坂」を上り、そのまま旧郡役所とニ葉幼稚園の間の道を進み、突き当りを左折して文化センター方面へ歩きました。普段、車では通っていても、歩いて見える世界はまた別なもの。つい左に右に首をきょろきょろと振ってしまいます。
「お八重」の碑である「八重が淵」。
安中市民であれば、「八重が渕」の伝説はご存知の方も多いでしょうが、一応、ご紹介しておきます。
「お八重」は、安中藩の殿様のそばにお仕えする美しい女性だったといいます。やがて殿様の目にとまり寵愛を受けるようになったのですが、それを嫉んだ殿様の奥方や他の腰元達から、激しいいじめの対象にもされたそうです。
ある日、殿様の夕飯をいつものように御典医が調べた後、お八重はそれを殿様に差し上げました。
殿様が、ご飯を三箸食べた時、その茶わんの中に細く鋭く光るものを見つけたそうです。それは縫い針でした。
すぐに呼ばれた典医は、「私が拝見しましたときには、何も変わったことはありませんでした。なにより、縫い針といえば、女の扱うものですから…」としらっとした顔で答えたそうです。さらに袂に隠し持っていた針をお八重が飯に入れるのを見たという女中も現れ、次から次へとお八重を貶める嘘が殿様に告げられたといいます。
結果、お八重は座敷牢に押し込めら、さらに何百という蛇が入った甕の中に入れられました。そして、その甕はお城の下の大きな杉に囲まれた渕に投げ込まれ、彼女は殺されてしまったそうです。(場所は現在R18が走っている場所の近くです。)
すべてはお八重を嫉んだ者たちと城の典医の知恵から生まれた謀略だったといわれています。
けれど、無実の罪で残酷に殺されたお八重の呪い…
それは、その後、なんと昭和に至るまで安中の医師に深く向けられたそうです。事実、これ以降、安中の城に抱えられた典医はニ代と続くことが無く、さらに明治の時代になっても安中市の医者は苦難や災難が続き、また子息が医師になることはなかったそうです。
偶然、迷信、伝説…単にそれだけでは済まされない現実に、安中医師会では昭和10年4月に妙興院でお八重の供養を施し、元櫓台のあった場所(現在R18)の脇にお八重の碑を建てたのです。
すると不思議にそれ以降、安中の医師から災難は亡くなり、後継者もできるようになったそうです。
「お八重の伝説」は近年になりぶり返しました。
明治になってから安中城本丸跡に安中中学校が作られ、二の丸跡に安中小学校がつくられたのですが、その後、統合により中学校は他地へ移転しました。そこで、中学のグランド跡地に安中小学校のプールを作り、さらにその後、文化センターを作ったのですが、同時に、お八重の碑も移動されることになったのです。
それは、安中市文化センターを造る時でした。突然、幾台もの工事車両が原因不明に止まってしまったり、更に考えられないような不慮の事故が続出したりと、工事はまったく進まなくなってしまったのです。
当時、このことは、新聞やテレビにも取り上げられ話題になりましたが、くりまんじゅうは「独占・女の時間60分」とかいう番組が取材に来ていた記憶が強く残っています。
そこで、市や医師会など関係者がまた、「お八重」の供養をしたそうです。
するとこれまた不可思議な出来事は治まり、工事は再開されたのです。
その時、移転されたお八重の墓の跡地からは何百の蛇が出てきたという話も近所の人から聞きました。
すみません。話がだいぶ横道にそれてしまいました。(きちんとした文献をあたったわけではないので、思い違いや間違いもあるかもしれません…)
中学校跡地に残された体育館の桜です。
離れて見るとかまぼこ状の建物を桜が包むように咲いているように見えます。
体育館の裏手に廻って驚きました。一日中、陽が殆ど差さない昼間でも薄暗い場所ですが、桜の太い幹を蔦が這い上がるようにして覆っていました。なんとも無気味な姿に感じました。お八重の伝説があるだけに余計に薄気味悪く、ぞくぞくして鳥肌が立ちます。
あまりの不気味さに逃げるようにして小学校へと向かいました。
少年野球の朝練が始まっていました。
これまた三十数年前、かつてはくりまんじゅうもあの中にいたのです。けれど、皆、揃いのユニフォームを着ているくらいで練習内容は今も昔もかわりませんね。
ブランコに揺られながら、しばらく少年たちの練習風景を見ていました。
小学校を後にして、「安中教会」へ寄りました。桜はないのですが、やはり思いで深き場所です。
1919年(大正8年)新島襄召天30周年を記念して日本人の手で作られた日本で最初の教会だそうです。 正しくは「新島襄記念会堂」と言います。
大谷石の建造物。古い教会です。TVのドラマ、「ハイカラさんが通る」のロケにも来ていたそうです。そんな話を聞きました。
もう何十年も中に入っていませんが、西の天壁にはめ込まれたステンドグラスは泣けてくるほど美しいです。本物のクリスチャンはここで結婚式をしています。
この白い扉をじっと見ていると、中に誘い込まれるような錯覚に陥りました。時を経たものだけが発する不思議な魅力を感じます。
幼稚園を出てすぐ前に建っている古い木造家屋。ふと40年くらい前を思い出すような、昭和を感じる風景です。
ここの桜がまた見事なのです。
最後に「群馬銀行安中支店」の駐車場から見た桜です。上の写真の桜を南からみたものでもあります。
まさに満開。
以前は、この季節、群馬銀行の職員さんたちが夜桜見物(花見)を行っていましたが、ここ最近は行っていません。
理由を聞いたら、以前は、夜でも銀行内に入れたのですが、今はセキュリティの関係で入店できなくなり、また外にはトイレがないので、花見は出来なくなってしまったというお話でした。
この季節、まさに桜屋敷です。
ちなみに今回、お届けする写真は、すべてモノクロームにしてみました。
それほど、深い理由はないのですが、桜は「白黒」が美しい気がしたのもので…(^^;
けれど、これだけは「天然色」で!
ちなみに白黒だとこんな感じです。
そろそろ(4/10)、散り始めました。
さくらは良いですね。
返信削除安中の桜はどれも好きですが、特に群銀の桜が良いですね。上野尻の住人としては、愛宕神社の桜も良いですよ。
20数年前に台風で何本も倒れてしまいましたけど、、、
少年の日に桜の木から蝉が殻を破り飛んでいく姿を見て感動しました。桜の木はいろんな事を教えてくれました。
前回もちょとコメントしましたけど、今年は妙に桜がきれいだと感じた年でした。
返信削除何故だか分りませんが、たぶん今自分を見失ってるからかな?毎年必ずどんなことがあっても、必ずその場所で見事に実らせますよね!その、力強さが、元気を与えてくれたのかも?!
残念ながら、雨が続いてしまい、ほとんど、私の通勤道の、桜は散ってしまいました。
でも、これから、きれいな、新緑に変身して、また、違ったエネルギーをあたえてくれるんですよね!
Yさんにしても、おっぎ~さんにしても、「桜」に惹かれるのはやはり「歳をとったから」でしょう。(笑)勿論、くりまんじゅうも一緒です。(^^)
返信削除人は歳をとるに従って、動から静へと関心対象が変わるそうです。
若い頃は「動物」を可愛がり、そして、次第に「植物」を愛しみ、最後は「鉱物」を愛でるそうです。(けど、ダイアモンドじゃありません…)
俗物であるくりまんじゅうは、そこまで枯れてないので、真理はまったく分かりませんが、不変なものに憧れるようになるのでしょうか…
実際、日本の「四季」を本当に美しいものだと感じるようになったのは、まだ、ここ五年くらいです。
まだまだ青いくりまんじゅうです。
おっぎ~さん、「自分を見失っている」ことを自覚できる人は、けして「自分を見失ってはいない」と思います。
若葉が眼に沁みる季節ももうすぐです。
もう大分前の記事のようですが参考になりました。
返信削除つい最近(2012-08-31)に安中市の歴史探訪しました。
その時に八重が淵や安中教会他にも廻り楽しい見学が出来ました。
この八重が淵について皆無でしたのでこの記事を拝見させて頂き
良く知ることが出来ました。素晴らしい内容でした。
有り難うございました。
アナログ男の写真と音楽さん、はじめまして。
返信削除ようこそ「夢の中へ」へ。^^)v
コメント、ありがとうございました。
もし、何か参考になった頃があれば幸いです。
それにしても、この記事のタイムスタンプを見たらもう4年以上前なのですね。でも、記事を書いたことは憶えています。^^;
それにしても「安中の歴史探訪」ですか。
この地に長く住んでいてもなかなか安中の歴史を知る機会もありません。
もし、面白い話があれば逆に聞かせていただきたいものです。
今後とも宜しくお願い致します。