信州と関東(群馬)の境である難所、碓氷峠を越える道というと「中山道」をイメージしますが、中山道は徳川の時代になり、江戸を中心として全国各地へと開かれた道、東海道、甲州街道、奥州街道、日光街道などの5街道の一つです。
実はそれ以前の道として、「碓氷峠」には「東山道」が通っていました。
鎌倉以前、日本の中心だった畿内を基点に東国へ伸びる本州の内陸側を東西に横断する古道で五畿七道の一つでもあります。
東山道は近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、上野国、下野国、そして、陸奥国へと繋がっています。当然、当時、ど田舎だった江戸へ道は向かっていません。(ちなみに海沿いを進むのが「東海道」、そして山の中を進む道が「東山道」なわけです)
いつ開通したのかなど、はっきりした事は分かりませんが、とにかく時代は古く「飛鳥時代」およそ1500年ほど前まで遡るそうです。
5/5(子供の日)、雨の中をそんな古の道が傍を通る「ヤマブキの郷」へ行ってきました。
場所は安中市の松井田町横川から、小根山森林公園へ向かう道から途中で分岐してすぐの所、上信越道、横川SAの裏側辺り。
これは、森林公園の鹿くん(の剥製)です。(笑)
(森林公園への道は、ちょっと鬱そうとしすぎていて怖いです…)
ヤマブキの季節は既に過ぎてしまいましたが、しんと静まり返った山の中、小雨まじりという天気のせいもあり、実に神秘的な場所でした。
この道を通って東国の男たちが「防人」として九州へ出向いていったそうです。
なお詳しい説明が欲しい人は下の画像をクリックして大きな画像で読んでください。(^^;
ヤマブキはもう見頃を過ぎてしまいましたが、一、ニ週間早ければ、綺麗だったと思います。これはまだ残っていた花…
太古のロマンを感じます。いつかまた訪れてみたい場所です。
来週は、「侍マラソン」安政の遠足ですね。
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