2008-12-19

朝のお散歩 ご近所(11/14)その2

 (朝のお散歩 ご近所(11/14))からの続きです。

 階段を上がり、西廣寺の山門を潜る。真宗大谷派のお寺さん。

 写真を撮り忘れたのだが、ここには県指定天然記念物の「椿」がある。 かなり立派なやつ。

 場所は山門のすぐ脇。

 別の写真を掲載しておいて、こんなことを書くのもどうかと思うが、木の幹は地上50㌢で2本に分かれて、その先で 2本のうち1本がさらに分かれて、計3本となっている樹高6.5mほどの椿の木。
 推定樹齢は約300年といわれている。

 品種は関西地方で多く栽倍される日光(ジッコウ)。紅唐子の祖だそうだ。

 3月の開花期には写真撮ってきます。(憶えていれば…^^;)実際、見事な花群れです。

 ついでにもう一つ書いておくと、西廣寺には柏木義円の墓がある。

 柏木義円。まあ、全国的にはさほど有名という程ではないが、安中市民は知っておく必要があるだろう。(笑)

 新潟県与坂町に生まれ、東京師範学校卒業後、松井田町にて小学校教員を務めていた。

 その後、「新島襄」を慕って京都の同志社で学び、その教えを受けたキリストの先生です。(あっ、新島襄…間違っても宍戸錠と勘違いしないように…^^;)

 日露戦争当時より戦争反対を主張。安中教会5代目牧師として38年間務め、その間、「上毛教界月報」を発行し、教会を紹介するとともに、反戦・非戦を終生訴え続けた。

 なので「非戦の父」とかとも呼ばれている偉い方である。(1860~1938)

 しかし、なんだか、今日は普段隠している教養をちょっとひけらかしちゃうようで照れるなぁ…

 まあ、全部、案内板に書いてあったことなのだけど…(汗)

 さて、ふと気が付くと、写真はとっくに西廣寺のお隣の「大泉寺」に移っていた。(^^;

 以前書いたが、大泉寺は、武田の軍門に下り長篠の戦いで絶滅した安中氏の後、徳川の時代になって安中藩主となった井伊直勝の生母(直政の妻)のお墓があるお寺だが、一部の人たち(妖怪マニアや民話愛好家)の間では「ちゃんころりん石」の方が有名とのこと。

 なお、「ちゃんころりん石」について興味ある方は下のリンクをご参照あれ。
 http://yume-no-nakade.blogspot.com/2008/08/3.html

 「大泉寺今はしずまるチャンコロリン石」
 これ、知ってますか?

 「安中カルタ」の「た」の読み札に書かれている文句。(笑)
 まあ、市民だって大半の方は知らないのだから、知らなくても仕方がない。 というより、市外の方で知っていたら驚きだ。

 上毛カルタに習って「安中カルタ」なるものがあるそうです。現物、見たことはないけど…

 ちなみに、「西廣寺」は「老木の椿満開西広寺(さいこうじ)」だそうです。読み札は「ろ」
 興味のある方は下のリンクへ(笑)
 
 http://kitagawa.la.coocan.jp/chin/ankaru2.html

 あらあら、既に写真は「東光院荘厳堂」の境内のモミジへ行っちゃってる。(^^;

 前後しますが、ここを右折しました。石垣の上は今はなき「英語塾」。
 くりまん、マイケル通ってました。まあ、塾というより寺子屋みたいだったけど。(笑)

 東光院はくりまんじゅう家のお墓があるお寺さん。
 でも、荘厳院は本寺院からは少し離れている墓地。

 前ボケ意識したのだけど、これじゃあ、ボケボケ(^^;
 既に2時間近く歩いていて、写真なんてもうどうでも良くなってた頃。(笑)

 さっ、大手の坂を下りて早く帰ろう。(笑)

 おしまい…

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