安中にだっていいところが(たぶん)あるぞ!ということで、これからぼちぼちと「シリーズ・安中を裏道歩く」を行ってみようかと思っています。
まず、その記念すべき第一回目は「下の尻」(笑)!
何故、下の尻なのかですが、一応、理由は二つあることにしておきます。
まず、その1つ目のは、会社から自宅に帰る途中にあるから…という実に安易かつ安直な理由です。(笑)
けれど、その2つ目は、ちょっと大事。実は、ここがくりまんじゅうのルーツでもあるからです。
それはもう40年以上昔のことですが、写真の正面に見える石垣の上に以前は「倉」があり、そこに小学校に上がる直前までくりまんじゅうは住んでいたのです。
ここは祖母の実家になります。以前、書いたことがあるかと思いますが、祖母は東京(練馬)に嫁いだのですが、戦時中(昭和18年)に夫(祖父)を亡くし、子供5人引き連れて、実家である群馬へ戻ってきました。
祖母の実家は「酒屋」をしていたので、古いその酒倉を借りて人が住めるように改築し、それから約25年間、そこに住ませて頂いてました。(4.5畳と6畳の二間、そこに6人住んでいたわけですね。)
ちなみに今回、歩いたルートはこんな感じのこんな場所。
基本的に車が通り抜け出来る道ではないので、普段通ることもなく、ここを歩くのは30年ぶりくらいになるかもしれません。
けれど、殆ど何も変わっていない景色に感じます。妙な懐かしさが込み上げてきました。
この赤い建物、ずっと昔からありました。縫製工場だったような憶えがあるのですが、定かではありません。また以前は「水色」の塗装だったような記憶も残っているのですが、きっと赤へ塗り替えたのでしょうね。
突き当たりは行き止まりで、その先は畑です。今も昔も変わりません。(一部、畑が住宅になってましたが…)
そこにプラスチックのベンチとタイヤが置いてありました。見た感じもうだいぶ使われていない感じに古ぼけてます。
この場所で石蹴りをしたり、缶蹴りをして遊びました。殆ど車が入ってこないので安全だったのだと思います。
それと、確かここには同級生が住んでいたはずです。記憶違いでなければ、「I田H子」さん…違ったでしょうか。(ふと思って同窓会名簿確認したら行方不明者リストに載ってました…^^;)
まあ、しかし、よくぞ、ここまで錆びたものです。もはや判別不能ですね。^^;
この石段が昔のくりまんじゅうの家に続く通路でした。石段を上がり切った場所に井戸があり、左側のブロック塀の向こう側辺りに家があったはずです。
ここは裏道から旧中仙道へ抜ける唯一の公道…細い道です。けれど、昔はもっと暗くて通るのを憚れるくらいに怖い道に感じました。舗装もされていなかったかもしれません。
石垣沿いに東へ歩いていきました。安中の裏道はまさに石垣の道なのです。(特に谷津の坂の東側は・・・)
石垣から垂れ下がるように紫陽花が咲いていました。この紫陽花、樹齢何年くらいでしょうか、とても大きな木に育ってました。
下から逆光目に仰ぎ見て一枚。
通り過ぎてまた一枚。
振り返って、さらにもう一枚(^^;
石垣沿いに無舗装のじゃり道がしばらく続きます。子供の頃、祖母に連れられよく歩いた道です。当時とまるで変わりません。
道の突き当たりに見える家が祖母の遠縁の家。そこにくりまんじゅうより一つ歳上の男の子がいて、よく遊んだものでした。
家の前に紫陽花の花が咲いてました。
*
北へ進め(上がれ)ばまた旧中仙道へ通じます。ここは昔から自動車(但し軽)が通れる道でした。「おばさんいるかな?」と庭先から覗いてみましたが、ひっそりしていてお留守のようでした。なので、ブロック塀に寄り添うように咲く花を…訪れた証拠に…
*
その2へ続きます・・・
この石段・・・石垣・・・
返信削除妙に懐かしい・・・
不思議・・・
行ったことあるかな???
やきまんじゅうさん、こんにちわ。
返信削除中学の登下校の時・・・・
う~ん、観音様から出てきても、この辺は普通通らないから・・・違うかぁ!
ならば、この近くに住むご友人がいたとか・・・(あまりよく憶えていないけど、O野H子さんとかI田H子さんはこの付近に住んでいたはず。)
または、この辺には東邦亜鉛の社宅が沢山あったので・・・そのご関係とか・・・
まあ、安中(中仙道)の裏道はこんな感じの場所が多いので記憶がシンクロするのかもしれませんね。(^^)
「シリーズ・安中の裏道を歩く」ではやきまんさんの元ご自宅の辺りもやります。
(裏道に住んでた人は得です(笑)なにが得だかはわからないけど・・・)
まあ、板鼻の方は・・・だいぶ先になってしまうかもしれないけど・・・気長に待ってて下さい(^^;
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返信削除大変遅くなりましたが・・・
返信削除そうか・・・裏道は石垣が多いのですね。
こちらでは見かけない石垣ですから、新鮮かつ懐かしいです。
でも短い期間しか住んでいなくて、本当に記憶が断片的なやきまんじゅうです。
道と道とが全くつながらないし。。。
Y田Y子ちゃんと同じ社宅に小6で引っ越してきました。O野H子ちゃん宅も近かった。それから中2でT橋R美ちゃん宅の近所に引越しました。もちろん生まれは板鼻ですが・・・
ややっこしい、やきまんじゅうです(笑)
どの写真もどことなく懐かしい・・・
昭和が残っている感じ。
いいな~・・・
小さな石でも手で持ってみると本当に重いのに驚きます。
返信削除重機もなにも無い時代に、ただ人の手と力だけで積み上げ、組み上げたのですから、凄いものだと本当に思います。
安中の石垣は江戸後期に補修されたものが多いそうですが、中山道安中宿を築く時に積まれたものも一部残っているそうです。
となれば、400年前です。(^^)
その時間の経過が、コンクリートとは比較にならない美しさを感じさせるのかもしれませんね。