2008-07-22

お茶の色って何色?

 突然ですが、「お茶って何色?」って訊かれれば、(精神の捻じ曲がっていない)大抵の日本人は条件反射的に「」と答えると思います。(笑)
 はい、純粋無垢なくりまんじゅうも勿論そうです。^^;

 でも、よく考えたら「茶色」って言葉があるのに…どうしてでしょうね?

 まず、ちょっと考えれば、お茶が日本に渡ってきたのは多分、中国からでしょうから「茶色」という言葉の発祥時、「お茶」が「茶色」であったことは、(今の中国茶を考えても)想像に難くありません。なので、「ブラウン」が「茶色」というのは、すんなりと分かるし、腑にも落ちます。

 ならば、いつ、「茶色」が「緑」になったのか…?

 ダメです。こうなると、もう分かりません。^^;
 なので、ちょっと調べてみました。

 まず、鎌倉時代に入る直前に、またまた中国から「抹茶」が伝わり、貴族や武家、僧侶といった当時身分の高い人々の間での喫茶法、いわゆる「茶道」が始まったそうです。(日本のお茶が一部緑になった瞬間ですね)
 けれど、高級な緑色の抹茶栽培は宇治の特定の茶師にしかずっと許されていないものだったそうです。
 時は流れ、お茶伝来よりおよそ550年後、京都の宇治で「青製煎茶」、即ち今に伝わる煎茶が生まれました。八代将軍吉宗の時代です。暴れん坊将軍です。(まったく関係ありませんが、なにかというと「俺の股間の暴れん坊将軍が…」と言っていたS君今も元気だろうか…(笑))

 発明者の名は宇治田原郷湯屋谷の茶農、「永谷宗円」なる人物。
 十数年の歳月、試行錯誤の研究を積み重ね、現在の煎茶の発明に成功したと言われています。

 当時、好景気に沸く江戸の町にこの青製煎茶を持ち込み、日本橋「山本家」にて販売、これが爆発的な人気を博したそうです。
 けれど、宗円はこの製法を独占せずに、惜しむことなく湯屋谷の人々に伝授したといいます。そこから徐々に他藩にも製法が伝わって行き、やがて日本全国でこの製法によってお茶が作られることになったのだそうです。(偉いやっちゃ、永谷宗円!)

 以来、日本のお茶は「緑」になったというお話でした。

 ふむふむ、な~るほど。
 あっ、今、ふと思ったのですが、「永谷園」はこの永谷さんの子孫・・・?
 日本橋の「山本屋」は「上から読んでも下から読んでもの…」の「山本山」?
 裏とってないけど、たぶん、そうだろうなぁ~

 実は、もうひとつ気になっているのは、「信号機、なんで「緑」なのに「青」って言うんねん?」です。(笑)緑のリンゴを「青リンゴ」っても言っちゃうし…
 いや、一つじゃないな。「タヌキうどんのタヌキ」も実は気になってるし…(笑)

 でも、この話はまた後で…

 (今日は写真使わないよ!(笑))

2 件のコメント:

  1. こんばんは!
    色に関してコメントしますね!
    おっぎ~は、仕事柄勉強しましたが、あまりにも、奥ふかく、挫折しました。
    でも、いつかまた、やりたいと思ってます。
    色はなぜ見えるか!人間が色を感じるためには、「光源」「物体」「視覚」の3つの要素が必要だそうです。はぁ~ここからはとてもじゃないけど、説明しきれないので、やめますが、ちなみに、息子は信号は緑といいます。青じゃないらしいよ!!

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  2. 色については、くりまんじゅうも以前、よく考えていたことがあります。
    例えば、自分の見えているこの色。果たして、他の人も同じように見えているのか…
    色盲とか色弱とかありますが、そうではなく、もっと微妙な違いです。
    実際、自分の右目と左眼を比べても、明るさや色合いって微妙に違いませんか。
    目の機能もそうですが、神経の伝達、そして脳の判断。その一つ一つで絶対に違っているはずです。
    まっ、小難しいことは置いておいて…
    もし、この世の中の葉っぱの色がピンクだったら人間ってどうだったのだろう…なんて意味不明な妄想をしていた時期もありました。(笑)

    ちなみに「黒」の反対色は「白」ですが、昔の人はそれを「赤」だと思っていたようです。
    だから、「暗(黒)い」の反対語は「明(赤)るい」なのだそうです。(きっと、夜と太陽というのも関わっているのかもしれませんね)

    科学がなかった時代に考えることっていうのもある面、面白いですね。(^^)

    では、では…

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