喪中と書かれた一枚の葉書が突然舞い込んできた。
千葉、浦安に住む大叔母からのものだった。
大叔父が亡くなったらしい。しかも、既に3ヶ月近く過ぎていた。
知らなかった。両親も伯母も誰もなにも知らない話だった。
群馬を離れて四十年近くの年月が流れ、十人いた姉弟も今ではたった二人だけ、最近は歩くことも不自由している大叔母だったので、田舎で行われる法事にも顔を出さずだったから、そんなことも気にしていたのかもしれない。
「葬式は家族葬にて行いました。遠地につきご配慮は不要です」と書かれていたが…そういう訳には断じていかない。
千葉の浦安と群馬の安中。高々、車で二時間程度の距離ではあるが、今年、八十五になった大叔母にはやはり遠地に感じるのだろう。
12月13日(日)両親と伯母を乗せ浦安へ向かった。
大叔母の家に行くのは初めてである。住所だけが頼りだったが、ナビのお陰で大伯母の住むマンションに辿り着いた。日曜日ということもあり、首都高速も空いていたので二時間少しだった。
一棟大凡150世帯。見上げるような12階建ての高層マンションが公園を取り囲むように六棟建っているその一棟の六階の一室が大伯母たちが30年住む家だった。
十数年ぶりに会った大叔母は、その歳の割りに肌の色艶もよくさほど変らなかった。
ただ一つ、涙もろくなったことを除けば…
懐かしい再会に一人一人と抱き合い、眼には涙を浮かべその雫を静かにこぼしていた。
大叔父は海の傍に眠っていた。
新浦安は東京湾の埋立地である。なので根っからここに住んでいる人はいない。
たかだか30年の歴史しか持たない土地。
洋風な新しい形の墓地だった。
線香を上げ、「大叔父さん、ご無沙汰してしまいすみません」と呟いて手のひらを静かに合わせた。
伯母は長女だった祖母の6番目の妹である。
歳も十五歳以上離れたいたはずだ。だから、父や伯母の方が年齢的にも近い。自分にしても以前は大伯母というより伯母という感じだった。
けれど、久しぶりにあった大叔母は祖母に良く似ていた。亡くなって三十年近くの歳月が経ち、亡くなった祖母より遥かに歳は上なのだけれども…
帰り掛けに一冊の小冊子のような句集を見せられた。
十五年近く前、一番下の妹が若くして亡くなった時、僕が大叔母の妹へ捧げた俳句を纏めたものだった。
拙い出来のものであったが、大叔母はとても大事にしていてくれた。
一番下の大叔母はその世界ではそこそこ有名な俳人だった。
もう10年も前になるが「死刑囚からの恋うた」という奥田英二が主演した日本テレビのドラマの原作者でもある。
姉である祖母や大叔母もまた俳句を愛していた。
「申し訳ないんだけど、これをこんな形で纏めてくれないかしら…」
そう言って大叔母の句や詩、そして文章を亡くなった大叔父がワープロで入力したA4用紙の束を渡された。
「こういうことを頼めるのは貴方しかいないから…我がまま言ってごめんなさい」
一瞬、荷が重い仕事と思いつつも、勿論、喜んで引き受けました。
実は今、どんな形に仕上げるかそれを考えています。
ある意味、大叔母の人生の集大成を纏める仕事なので、やっつけでは行えません。
いつでもいいとは言われましたが、心臓を患っている大叔母にそんなに長い時間は待たせられません。
美しい大叔母の日本語に、故郷、安中の風景を添えてみようかとは思っているのですが…まだ、構想の途中です。もし、何かいいアイディアがあったら教えてください。
たまにはおちゃらけない記事なども…(汗)
暗めの記事ですみません。
地域ネットさん、登録をどうもです。
返信削除まだ状況をよく把握していませんが^^;、地域ランキングと判断して、折角ですのでリンク張らせて頂きました。
今後ともよろしくです。