2011-01-14

思い出写真 上高地

 昭和18年、祖母は二男三女を遺されて三十半ば前で未亡人になった。
 上は9歳、下はまだ1歳にもならない歳だった。
 女手一つで都会に暮らすことは出来ず、実家の里へ5人の幼子とともに戻ってきた。
 戦時下の誰もが貧困に苦しんでいる時代。石垣の上に立つ古びた蔵を借り受け、そこを質素に改築して、出来た6畳2間の空間が祖母と父親たち六人の住処になった。
 そして、その生活は私が5歳になるまで続いた。

 今から40数年前、旅が好きだった祖母が上高地へ行って来た。
 帰宅したその祖母がポツリと零した言葉が今も忘れられません。

 『上高地ってどんなとこ?』
 『うん、それはとてもとてもきれいなところだよ。』
 『でもね。いいかい。上高地には、けして一人で行ってはいけないよ。』
 『どうして?』
 『美しすぎて、悲しくなるから…』

 上高地に訪れる度に祖母のことを思います。
 2003年8月10日、上高地に訪れました。

 
<1>
再会の 一念に春 待ち得たる

 
<2>
思ひ出に 色あらば青 犬ふぐり

 
<3>
とがりたる こころに梅の 香がふれし

 
<4>
娶りたる 子は嫁のもの 春ともし

 
<5>
貧富の差 なしと云えども 鯉のぼり

 
<6>
春ともし 似通ふ過去に もらひ泣き

 
<7>
娘より 嫁と仲良し 春炬燵

 
<8>
世に夫の 在りし日リラ 愛しい日

 
<9>
晴れし日の 風に色ある 皐月かな

 
<10>
女の血 たぎる夜もあり 薔薇匂う

 
<11>
朝顔や 束の間なりし 妻の日々

 
<12>
風鈴や 新婚の子の 部屋狭く

 
<13>
寺よりも 杜は淋し 夏木立

 
<14>
扇風機 うれし涙を 拭ぐはずに

 
<15>
雨に頸 ふるはせ咲きし 女郎花

 
<16>
半生を 寡婦とし生きて 月の秋

 
<17>
泣くことも 供養の一つ 菊の花

 
<18>
かの雲の 過ぐれば冬日 我のもの


 季節を愛し、自然を愛し、俳句を愛した祖母の句です。

 < SONY Cybershot DSC-P50 >

2 件のコメント:

  1. 8番9番の水の表情がいいですね。

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  2. ほんとに水がきれいなんですよね。
    不思議なのは川を覗くと普通にヤマメやイワナがいたりする。
    でも、普通、警戒心がとても強いのだけど人間慣れしていてまるで釣堀の魚みたいです。(笑)

    証拠写真。^^)v
    http://2.bp.blogspot.com/_BM33w-Fyvjc/TTDfuZlqQmI/AAAAAAAAwxs/_SbpV1k8Nnc/s1600/Dsc01814.jpg

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