今年も秋間(@安中市)の『群馬フラワーハイランド』へ行って来ました。^^)v
いや、3月には梅と水仙、4月は桜、そして5月に入ってツツジと、例年3回程は訪れるこの地ではありますが、今年は震災騒ぎもあり、ゴールデンウィークあけの今頃になってしまいました。^^;
毎回書いていますが、ここは園主のご主人と奥さんで50年掛けて作り上げた個人で営む観光農園です。
はっきり云って、ど田舎安中市の中でも最奥地と云っていいほどの山の奥です。
南斜面の山を切り開いた敷地は約15000坪。
そこにすべて園主(と奥さん)が苗木を植えたそうです。
最初に植えたのが1,000本のヤマツツジ。翌年は、栗の木を1,000本、続いて桜を500本、梅1,000本、さらに3万本のツツジの苗を植えていったと聞きました。
水仙にいたっては20万本だそうです。
以前(2年程前)、一度書きましたが、園主の中山さんと園内で少しお話をさせて頂いたことがあります。
その時のお話を再度ご紹介。^^)v
ここ、群馬フラワーハイランドは昭和30年前半の約50年前に「観光農業」の先駆けとして始めたものだそうです。
今でこそ、園までの道も舗装されていますが、当時はまさに山の中の「僻地」でした。
田舎の安中の最奥といってもいい場所ですから、実際、今でもそういう場所ですし、普通に熊が出る地なのです。
貧しい山里の村だけれど「山を切り開いて木々や花を植えつけて美しい観光園を造ってみたい」…
農家に生まれた中山さんは二十歳の時にそう思ったそうです。
しかし、当時はまだ戦災の傷跡がようやく癒えてきた50年代。
生産農業ではなく観光農業など一般の人たちは考えても見ない時代です。
人が全くいないような山の中。しかも、まだ自家用車も普及していない頃なのです。
中山さんの思いは誰が考えても無茶、無謀なことであり、同時に本人がそれを一番良く感じていたそうです。
転機はご両親の死去でした。
とても大きなショックを受けたそうですが、逆にそれが「踏み切る」契機にもなったそうです。
親に迷惑を掛けずに自分一人で出来る。
それからは、何から何まで一人きり、農作業の合間を見つけては毎日山へ出かけたそうです。
無限に思える雑木を切り倒し、山を開墾し、苗を植えられるようになるまで約三年の歳月が必要だったと言います。
実際、園内に自生の樹木は一本もないそうです。
「まあ、最初は「こんなど田舎の山の中で何やってるんだ!」って白い眼で見られたもんですよ。
「アイツは馬鹿じゃねぇのかっ」て村の誰もが相手にしてくれませんでした。」
「特に身内があっという間に逃げていった。まあ、銭が必要になれば身内って話になるのだから、分からなくはないけど、ものの見事に寄り付かなくなったもんですよ。」
中山さんは笑いながらそう話していました。
努力を重ねた末、園は昭和44年に一般公開されたそうです。
「でね、上手くいき始めたら、今度は身内がわんさかやってきては勝手に飲食いしていくんですよ。うちの親戚だって言ってぞろぞろやってくるけど、こっちは、あんたなんか知らないよって…(笑)」
お話を聞きながら、「いやっ、実はうちの家内が「死ぬ時はあの枝垂れ桜に下で死にたい」って言ってるんですよ!」と言うと、「あぁ、そうですか。そんなに気に入ってくれてるんですか」と満面の笑み。
その顔がとても印象的でした。
いつも園内を作業服で歩きながら、小さなゴミや枯れた枝をはらっている中山さん。
「大変ですね」と声を掛けると、首から下げたカメラを見たのか、にっこりと笑って「だって皆さんにいい写真を撮ってもらいたいですからね」と言われました。
そして、いつの間にか顔を憶えられてしまったのか、今年は入園窓口にいらして「パンフレットはいらないですよね(笑)」と言われてしまいました。(汗)
何もない山の中に咲く花たち。
開園は1月から5月末まで。今年の見頃は過ぎてしまったかもしれませんが、まだギリギリ間に合います。
安中市民、お近くの方は是非、お出かけしてみてください。
あっ、写真撮る人は特にお薦めです。
以前、写真家、故秋山庄太郎さんとかも撮りに来たそうです。^^)v
< Nikon D700 + Tamron SPAF90mm F2.8MACRO 他 >
いや、3月には梅と水仙、4月は桜、そして5月に入ってツツジと、例年3回程は訪れるこの地ではありますが、今年は震災騒ぎもあり、ゴールデンウィークあけの今頃になってしまいました。^^;
毎回書いていますが、ここは園主のご主人と奥さんで50年掛けて作り上げた個人で営む観光農園です。
はっきり云って、ど田舎安中市の中でも最奥地と云っていいほどの山の奥です。
南斜面の山を切り開いた敷地は約15000坪。
そこにすべて園主(と奥さん)が苗木を植えたそうです。
最初に植えたのが1,000本のヤマツツジ。翌年は、栗の木を1,000本、続いて桜を500本、梅1,000本、さらに3万本のツツジの苗を植えていったと聞きました。
水仙にいたっては20万本だそうです。
以前(2年程前)、一度書きましたが、園主の中山さんと園内で少しお話をさせて頂いたことがあります。
その時のお話を再度ご紹介。^^)v
ここ、群馬フラワーハイランドは昭和30年前半の約50年前に「観光農業」の先駆けとして始めたものだそうです。
今でこそ、園までの道も舗装されていますが、当時はまさに山の中の「僻地」でした。
田舎の安中の最奥といってもいい場所ですから、実際、今でもそういう場所ですし、普通に熊が出る地なのです。
貧しい山里の村だけれど「山を切り開いて木々や花を植えつけて美しい観光園を造ってみたい」…
農家に生まれた中山さんは二十歳の時にそう思ったそうです。
しかし、当時はまだ戦災の傷跡がようやく癒えてきた50年代。
生産農業ではなく観光農業など一般の人たちは考えても見ない時代です。
人が全くいないような山の中。しかも、まだ自家用車も普及していない頃なのです。
中山さんの思いは誰が考えても無茶、無謀なことであり、同時に本人がそれを一番良く感じていたそうです。
転機はご両親の死去でした。
とても大きなショックを受けたそうですが、逆にそれが「踏み切る」契機にもなったそうです。
親に迷惑を掛けずに自分一人で出来る。
それからは、何から何まで一人きり、農作業の合間を見つけては毎日山へ出かけたそうです。
無限に思える雑木を切り倒し、山を開墾し、苗を植えられるようになるまで約三年の歳月が必要だったと言います。
実際、園内に自生の樹木は一本もないそうです。
「まあ、最初は「こんなど田舎の山の中で何やってるんだ!」って白い眼で見られたもんですよ。
「アイツは馬鹿じゃねぇのかっ」て村の誰もが相手にしてくれませんでした。」
「特に身内があっという間に逃げていった。まあ、銭が必要になれば身内って話になるのだから、分からなくはないけど、ものの見事に寄り付かなくなったもんですよ。」
中山さんは笑いながらそう話していました。
努力を重ねた末、園は昭和44年に一般公開されたそうです。
「でね、上手くいき始めたら、今度は身内がわんさかやってきては勝手に飲食いしていくんですよ。うちの親戚だって言ってぞろぞろやってくるけど、こっちは、あんたなんか知らないよって…(笑)」
お話を聞きながら、「いやっ、実はうちの家内が「死ぬ時はあの枝垂れ桜に下で死にたい」って言ってるんですよ!」と言うと、「あぁ、そうですか。そんなに気に入ってくれてるんですか」と満面の笑み。
その顔がとても印象的でした。
いつも園内を作業服で歩きながら、小さなゴミや枯れた枝をはらっている中山さん。
「大変ですね」と声を掛けると、首から下げたカメラを見たのか、にっこりと笑って「だって皆さんにいい写真を撮ってもらいたいですからね」と言われました。
そして、いつの間にか顔を憶えられてしまったのか、今年は入園窓口にいらして「パンフレットはいらないですよね(笑)」と言われてしまいました。(汗)
何もない山の中に咲く花たち。
開園は1月から5月末まで。今年の見頃は過ぎてしまったかもしれませんが、まだギリギリ間に合います。
安中市民、お近くの方は是非、お出かけしてみてください。
あっ、写真撮る人は特にお薦めです。
以前、写真家、故秋山庄太郎さんとかも撮りに来たそうです。^^)v
< Nikon D700 + Tamron SPAF90mm F2.8MACRO 他 >
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