2008-11-12

昼のお散歩 会社周辺 その1

 前稿で「榛名神社」&「榛名湖」と書いたのにも関わらず、何故か「アルバム系」第一発目は「昼のお散歩 会社周辺」であります。^^;
 まあ、この辺のいい加減さ、節操のなさがくりまんじゅうのカワユイところであり、また持ち味だったりいたしますので^^;、お許しください。

 昨日(11/12)、お昼の時間を使って会社の周りをぶらぶらとうろついた時のお写真なのですが、撮りも撮ったり200枚越え。まったく懲りないヤツです(^^;(3600秒で250枚とすると…15秒に1枚弱か…)
 なので、「たぶん、絶対、お蔵入り」になる可能性大なので、アルバム系で公開なのです。

 とかなんとか言いながらも、シコシコと言い訳がましい文章書いちゃっている自分が悲しいのですが・・・

 あっ、そうそう、時々、写真集や写真雑誌のフォトコンテストとかを見ていると作品にタイトルとかが付いているじゃないですか。『群青の聖地』とか『我に降る天使』とか『落日の古城』とか『憧憬への径』とか『夢の中で^^;』とか・・・

 著名な写真家の写真とかならまあそういうのも格好がいいんでしょうけれど、素人の写真につけるとなんだか「気恥ずかしく」なってしまうような・・・そう、写真を撮る人誰しも苦しめるという・・・例のアレです。(^^;(本当はフォト系ブロガーの方は必ずつけなくちゃあイケナイんだぞ!)

 まあ、フォト系ブロガーでないくりまんじゅうですが、試しにそれやっちゃいます。(爆)

 ということで、『』がタイトルであり、下が高名な写真家によるその寸評であ~る。

 では、それではお散歩スターーーート!(笑)

 『消火栓』

 書いてあるものをマンマ、タイトルにするという「愚の骨頂」からあえて攻め込んでみる作者の勇気にまずは拍手を送りたい。


『ぼくのカメラ屋さん』

 このブログをしっかりと読んでいない人以外には絶対分からないタイトルが悲しくも素晴らしい。


『川の中で「海徹底強化中」』

 最初、これを撮ったのだけれど、水面に映る字が読めないので前の写真を改めて撮ったのだろうなぁ・・・という作者の悲しい心情が偲ばれる作品である。



『おい、キタロー』

 そうは見えないものを強引に結びつけるそのあつかましさも人生には必要なのだと見るものに深く感じさせるその作品とタイトルに感銘受けた。




『飲み過ぎゲロっぱ11名』

 作者の目の付け所が違う。タイトルの意図が分かった人は凄いと思う。実際…

『殺気・・・』

 道にゴルフボール・・・そしてタイトルが「殺気・・・」・・・?


『本当に危ないんです』

 川の中にも・・・そして、落ちかけのボールに潜むその意味は・・・
 さらに続くこのタイトルの意図は・・・?


『だって、隣がこれだから・・・』

 なるほど、こいつは組み写真か!
 実際、これだけボールが転がっているということは・・・うーん、確かに危険である。ヘルメットは必須であろう。
 そんな状況下に身を置き、自らの危険を顧みず、ひたすら「真実」を写実しようとする作者の姿勢はまさに「町の戦場カメラマン」と呼べよう。



『射程距離外』

 タイトルから察するに、きっと250ヤード以上離れた場所なのだろう。まあ、250Yを越えてネットの外へ飛んでくるような玉を打つことはまず不可能だ。
 その心の安堵を現すように、切り株と赤の紅い葉にレンズを向けるその真の意味をこの写真は訴えている。まさに「平和を愛する」気持ちである。
 ただ、少し惜しいのは右上辺りに「250ヤード」とか「300ヤード」とか書かれた看板があれば、もっといいだろう。更なる精進を望む。

『思ひつかない』

 作者はひどく正直である。ただなんの意図もなく撮ってしまった写真。なんてことのない単なる愚作といってもいいだろう。しかし、それを逆手にとって「思ひつかない」とタイトルをつけるとは!しかも「い」じゃなく「ひ」であるところに作者の見識の高さを感じる。
 作者の正直さの裏側に潜む計算高さにあえて拍手を送りたいではないか。


『開けてみたい・・・』

 作者の子供のような純粋な気持ちが現れている。そう、閉じているものは、誰でも「空けてみたくなる」のだ。その心を、その願いを、この単純な構図に込めた一枚に深く共感させられる。


『お前甘いの酸っぱいの?』

 真正直な気持ちを吐露した後、すぐに見たものに疑問を持つ作者のその研ぎ澄まされた感性の鋭さに正直、背筋がゾッとした。けれど、作品をよくよく見ていると、天の声が聞こえてきた。
 この作品を見たものは「じゃあ、食べてみればいいじゃないか!」と突っ込みたくなるはずだ。
 そして、突っ込みながら気づくはずだ。
 「そう感じたのなら…試していみること!それが経験だ!それが真実を知ることだ!」
 けして押し付けでなく、自ら気づかせるその奥ゆかしさと懐の深さ。そこが踏み込んだ作者の作品意図なのであろう。まさに小市民の人生を導く作品といえよう。

『神秘なるブルー』

 大そうなるタイトルとは裏腹に、ショボイ被写体が心に迫る。
 微妙に色の違うブルーの3色。まさに色彩の妙。この小屋に住むもの(働くもの)のセンスなのか、それとも単にペンキが足りなくなったのか・・・それが切実に知りたくなる作品である。そして、さりげなく、手前に置かれた白菜がまさに絶妙であると言えよう。

『ウルセェ!』

 よほど、「ギャンギャン」啼いていたのであろう。
 けれど作者はその様子を写真にはまったく見せずにタイトルに素直に書いてきた。実に分かりやすい手法である。
 しかし、勘違いをしてはいけない。
 神経を研ぎ澄ませないと真の意味が分からない一連の「写真」群の中に、見るものにふと安息を与える一枚をさりげなく差し込んでおく、この作者の隠れた優しさを感じなくてはいけないことを・・・


『思ひつかない、再び・・・』

 「そろそろ、また来るだろうな!」と思っていた頃、やはりやってきた。古典的ではあるが、まるで水戸黄門のような安定感のある展開である。
 しかし、このタイトルは作者のいわゆる「スカし」であることも気が付かなければいけない。
 けして作者は語ろうとしないが、秋、これから寒い冬を迎えようとするこの季節に、朽ちた枕木、錆びた鉄板、そして落ち葉・・・その中に生まれ来た小さなシダの若葉に深い思いを込めた一枚なのであろう。涙を誘う。



『無理です。』

 まるでアマゾンの奥地のような鬱そうとしたヤブ。この先にいったい何があるのだろうと引き込まれる不安定なな構図とわざとピントを外しているその神秘性。そしてタイトルに「無理です」と持ってきたあたり、この作者、デキル!と云わざるをえない。
 まさに、見るものに湧き起こる大いなる興味を大自然が厳しく拒否する会心の一枚だろう。



『高いところは大丈夫ですか?ぼくはビビリます。しかもかなり…』

 尋ねてどうする?白状しちゃってどうするんだ!と思わず叫びたくなるところが、まさに作者の狙いなのだろう。そもそも、凡庸な写真家であれば、巨大なタンクの階段に人を配置するだろう。その方が緊張感が増し、タンクの大きさもその比較から分かるだろうから。定石ならまずそうである。そして、その為に、時間を惜しまずに「私待つわ」 by あみん」。

 しかし、作者はそれを分かっていて敢えて、そうせずに非凡を凡庸の奥深くに眠らせている。さらに目を見開かざるを得ないのは「ぼくはビビリます」の一言だ。しかも普通のビビリでなく、「しかもかなり…」なのである。これほどまでに斬新なものは目にしたことがない。まさにニューウエーブであり、写真タイトルの新たなる夜明けと言えよう。


『給料は一緒、たぶん…』

 巨大な亜鉛工場の構内に同じ作業服を着て、同じヘルメットを被った二名。
 その後姿から見た違いは背の大小くらい。
 そこから作者が読み取ったものは!
 そう、「背が大きいからって稼ぎがいいわけじゃあないんだよ。」と背の低さにコンプレックスを持つ人への応援歌のような一枚である。見事な描写としかいいようがない。しかも、「たぶん…」でお茶を濁し、ことを荒立てないところも実に大人の態度である。



『ゲロには見えない、困っちゃう』

 作者の心の苦闘が手にとるように分かる写真とタイトルである。
 「思ひつかない。三たび」と行くことを良しとせず、捻ろうとして結果コケている。
 ここまでやってきて、こんなこと始めるんじゃなかったと深く後悔していることがありありと分かる意味のない心情描写の鋭い作品だ。



『フラッシュなんぞも焚いてみた』

 いよいよネタがなくなったのか、タイトルに撮影方法まで書き始めているが、しかし、それが作者の本心でないことに気がつかなければいけない。「逆光」で撮影すると被写体が暗くなる。それを回避するにはどうしたらいいのかということを、初心者へ「作品」としてくっきりとわかりやくす明示しているのだから、自然と頭が垂れる。まさに作者は写真会の福沢諭吉であろう。


『絵になりやすい』

 タイトルは、一見、もはや作者の「感想」の領域であるように感じるが、そう思うのは浅はか見付、六本木!
 「絵になりやすいものをセレクトする目が写真家には大切なのである。 」
 この1枚に込められた作者の思いが、ありありと表れていることを見抜けるようになってこそ一人前と言えよう。真実はそういうところに潜んでいるということを教えられる作品である。



『別に…』

 「別に…」
 女性が怒っている時によく使う言葉である。最近では「エリカ様」が使っていたことは記憶に新しい。
 まあ、そんなことはどうでもいいが…
 椿の蕾に「別に…」のタイトル文字…この作品を見た者が感じる正直な気持ちを先回りして、言ってしまっている作者の感受性の鋭さは、もはや驚異である。誰が見ても、まさに、「別に…」としか感想を云えない奥深い一枚である。



『ナッちゃんだったら何本分?』

 ナッちゃんとは多分、サントリーのオレンジジュースのことであろう。
 しかし、これだけ巨大なものを前にした時、人は得てして言葉を失い、絶句する。しかもこれだけリアリティ、武豊に描写されていれば、写真を見て誰しもがその場で固まってしまうであろう。
 そこで、作者はただオレンジ色と円柱状の形状だけで「ナッちゃんだったら何本分?」と、まず誰も答えられないような疑問を投げかけることで、場の雰囲気を和ませようとしているのである。
 その冷静さには、恐れ入ったとしかいいようがない。



『色とりどり』

 初っ端にマンマ。そして、またここで、まさに見たマンマのタイトルをこの辺りで入れて来た作者の心配りには驚かされる。秀作や力作を隙間なく揃え、常に見るものを緊張させることをよしとしない作者の人柄がこの一枚に伺い知れる。また作者には写真を1枚1枚で完結させるような古典的なイデオロギーはないのであろう。
 あつかましくも、ひょっとしたら、小一時間の安易なご近所散歩で「写真集」発売を目論んでいるのかもしれない。そんな意図すら感じさせる会心の「駄作」だ。



『主役はボケてる方なのです』

 人は誰しもピントの合っているものを見たがる。当たり前だ。けれど、あえて主役を大きくぼかし、けれど、そのままでは分からないので、タイトルで一応そのことに断りを入れるという、実に実験的かつ斬新な作品と言えよう。
 しかもボケている方だといいながら、主役が何かを言わないというのも奥が深い。見るものの興味と関心をまさにぐいぐいと鷲掴みである。世紀の謎かけ…まさに作者は現代の一休さんである。
 


『お腹がすいた』

 窓際に、ただヘルメットがいくつも置かれた、なんの変哲もない写真である。しかし、小粋なタイトルが一言付くだけで写真が大化けするということを端的に現す傑作であるといえよう。
 まず、この作品から読み取らなくてはいけない最初のことは、ヘルメットの様子である。ヘルメットが脱がれているということは現場ではない。さらにその置かれ方が実に無造作である。とうことは保管場所とかではないであろう。写真の中に漂う雰囲気が、もっと、ほのぼのとしたくつろぎ感を感じさせる。
 そこに鋭く「お腹がすいた」のタイトルが差し入れられたら、これはもう「社員食堂」以外考えられないというのが洞察力というものだ。

 さらに、「お腹がすいた」というのは作者のその時の心の叫びを同時に現しいる。写真を観賞するとはそういうことである。


『薔薇薫(かほ)る』

 この作品を最初見た時、作者の意図を疑った。背景のボケの大きさに比例したように、微妙にピントの合っていない一輪の薔薇の花。そこにつけたタイトルがまたクサいものである。
 香るじゃなく、薫る…しかも、「かほる」と読めというのは、なんというクサさであろう。
 一連の作者の作品を鑑賞していて、その才能に驚かされつつも、ここへきて遂にそのキャパの限界を見切った気がしたのだが、実は大きな間違いであることに気づかされたのである。

 構図もクサイ、ピントもクサイ、タイトルもクサイ…その全てのクササを集結した時、秋の薔薇は昇華され馨しく薫ったのである。凡人には分からぬ領域かもしれない。
 これは推測にしか過ぎないが、さらに社員食堂のトイレが近くにあったのであろう。作者の作品の奥深さにもはやひれ伏す以外術を見出せない。

 なので、しばし寸評は控えさせていただき観賞したい。



『疲れてきた』



『もうやめたい』


『そこまで云うなら、宇宙にしとけ!』

 2つ続けて、素晴らしい作品を観賞させていただき、鋭気を養えたので、再び、寸評させていただくことにする。

 「好きです安中。好きです地球。」
 上場企業として考えられないような標語である。

 群馬を飛び越し、日本を飛び越し、世界じゃなくて地球といってしまうなら、もうひとガンバリして「宇宙」でしょう…というのが作者の作品意図であろう。
 まず人として順番は守ろう。そして、どうせやるなら中途半端に終わらず行き着くところまで行きなさい!という作者の思想が物語っている壮大な写真である。



『『もう社名変わってるじゃん』

 この作品にのみ作者から簡単な但し書きが付いていた。実は、このトラック、この夏に解散し、従業員ごと他社へ売り払った会社の車だそうである。「そのままでいいのだろうか!」という単純な思いで必死にシャッターを切ったそうだ。
 そして、気がついたことがあると書かれていた。それは「別にいいのだ!」だった。

 単にそういうことらしい…もはや、寸評できる領域ではない。神の写真である。



『とっても怖い』

 安定感のある構図にケバイ蛍光色、いったい何が怖いのかを探してしまった。
 「発煙硫酸」という文字を見つけた。確かに怖い。単純であるが明快であり、まさしく真実である。
 


『LoVE働く車』

 ダンプカー、シャベルカー、ロードローラー…
 幼い子供は何故か働く車が大好きである。ちょっと仲間外れの感もあるが、トラックも一応その一種。
 そのことをさりげなく知らせる秀作である。これからの国際化を見定め、子供たちの未来を考え、さりげなく横文字を使っているのが泣かせる。



『梅じそじゃないのよ』

 単なるその辺の生えていた雑草、なのに梅シソジュースにしてゴクゴクと飲みたくなるような美しい色合いの作品である。事実、この作品を見た瞬間から、まるで夢遊病者のように「梅じそジュース」を求め歩いた自分がいた。
 でもちょっと待った!「梅じそじゃないのよ」とそのタイトルの警告で我を取り戻せた。これを見ている方々も気をつけなくてはいけない。これは、洗脳すらさせる恐ろしい麻薬のような作品である。



『合体』

 なんとエロチックな被写体であろう。その絵にドンピシャにはまったタイトルがまた素晴らしい。
 もはや、言葉は要らない。ただ、ひたすら観賞するのみである。


『旅立ち』

 この一連の写真群の作者にはこのまま一生、どこかに旅立っていて欲しいと節に願う今日この頃である。

 以上

 もう、二度としません。普通に書くほうがずっと楽、もはや体力の限界です。

4 件のコメント:

  1. 正統派フォト系ブロガーこの頃ちょっと飼育系アリなTokiです。

    はっきり申し上げて、くりまんじゅう様はフォト系は断念されて正解ですね。
    フォト系の基本はタイトルです。写真を撮る以前にタイトルはいっぱい用意しておかなくてはいけない。
    写真からイメージしてタイトルを考えるようではまだまだ甘いです。

    実話先日、某下関市立美術館の駐車場に突如!出現した真っ赤な彫刻を鑑賞し、そのタイトルを拝見して、私。ハタ!と気が付きました。

    タイトルは英語に限る!どうせ世の中、英語というだけで読みもしないでなんとなく納得してくれるお方ばかり。。。コレだあ! (汗


    まあ、辞書引く手間は掛かりますが、ワリと良い感じやないの!と、自負しとります。

    えっと、タイトルでお悩みのようだったので、もしも参考になれば。。。と、ふと思ったので。


    以上でち!

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  2. ははは、断念も何も、幕の内弁系なので、型はないのです。な~んでもありなんです。(笑)

    そもそも、俳句家系系くりまんじゅうが真面目に日本語選び出したら、反骨精神が無くなって、軟弱になくなっちゃうし・・・(笑)
    (そっち系の資料が沢山あるという意味)

    >タイトルは英語に限る!

    見た目がカッコいいことはわかりますけど、そういう方向性はないので今はご辞退。(^^;
    ・・・でも、もう一歩踏み込んで、エスペラント語辺りなら、ちょっとビビビ・・・(笑)

    以上

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  3. ナイスネーミング大賞差し上げます。

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  4. てんさん、ありがとう(^^)
    喜んで頂けたのなら、苦しんだ甲斐がありました。(^^;

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