2008-11-23

秋の八ヶ岳 その1

 「八ヶ岳」…
 今更、改めて説明をする必要もない、長野県の諏訪地域と佐久地域および山梨県の境に鎮座する30km余りに連なる大きな山群です。

 主峰赤岳(標高2,899m)を中心に、2500mを越える山並みが南北に連なっています。ちなみに、「八ヶ岳」というのは、その山塊の総称であり、山そのものに八ヶ岳と名付けられた山は存在しません。
 その広大な裾野には、東側の「清里高原」や「野辺山高原」、西側の「富士見高原」や「蓼科高原」などの有名観光地を有しており、すぐ近くを中央高速道が通り抜けている為、首都圏からの観光客も非常に多い場所です。

 …というようなネットをちょっと探れば出てくるようなお話はこの位にして、今回からは「そんな八ヶ岳にまた、行っちゃったよ」というお話です。(^^;


 年間、何度も訪れているので、一応きちんとした日付も書いておかないと、後で読んだ時、いつのことだったか分からなくなるので記しておくと…えっと、11/3の文化の日でした。なので、もう2週間以上も前のお話…(^^; 申し訳ない。

 重度な家族想いで知られる(^^;、くりまんじゅうご夫婦は、春夏秋冬とシーズン最低一回以上、両親を連れて山や海や湖などへ出掛けます。(笑)

 で、この秋…はというと、お祭りもあったので、日曜祭日は殆ど、そちらに時間をとられてしまい…10月中はどこにも(連れて)行けませんでした。
 11月になるとそこそこ高いお山の紅葉は終わってしまいます。実際、既にこの時点で、「志賀高原」とか「乗鞍」とか「金精峠」とかの道は「積雪の為通行止め」というお話でした。
 で、「どうするか?どこへ行くか?」とぶ~ことともに考えた末、出した結論は、もはやマンネリ化している「八ヶ岳」(^^;

 まあ、しかし、いいのです。(笑)

 安中から八ヶ岳方面に行くには、一般的には上信越道で群馬から長野に入り、トンネルを抜けて最初のICの「佐久」で降り、そして、R141でただひたすら南へ向かいます。
 まあ、最初に書いたように「八ヶ岳」と言っても南北30キロもありますので、どの辺りへ行くかによって多少、使う道は変わるのですが…

 あっ、そうそう、ちょっと話はそれますが、「中部横断自動車道」開通への動きが少しだけ見えてきました。
 中部横断自動車道というのは、起点を静岡県静岡市として終点を長野県小諸市とする全長約136kmの高速道路であり(長坂JCTから双葉JCTまでは中央自動車道と重複)、小諸JCTから先は上信越自動車道を介して太平洋側 (静岡市) と日本海側 (上越市) を結ぶ路線と位置づけられているそうです。
 既に中央高速からの先、山梨静岡側ではホンの一部だけですが、既に開通しているところもあるのですが、R141と平行して走る長野山梨側では、まだまったく手付かずの状態でした。それが…なんとなく、工事が始まった雰囲気(あくまで雰囲気)が…
 まあ、「八千穂」までの開通すら、あと7年先の予定ですから、全線開通は、気の遠くなるような先のお話なのでしょうが…もし、出来上がれば「山国県」である群馬や長野から静岡へ行くのが非常に近く(早く)なるので、楽しみであったりしないわけではありません。

 さて、ヘタな文章ばっかり書いていないで、(ヘタでもいいから)早く写真なんかも掲載しろというお言葉が聞こえそうなのですが…

 実は、またまたやっちゃいました。(^^;

 そう、出発してから2時間ほど…実際、結構な枚数(100枚程度)を撮るまで、ISO設定が前夜のまま(ISO3200)だったということにまったく気が付かず…見るも無残なノイジー写真ばかり…(トホホ…)
なので、気づいたその場で、それらは全部、消しちゃったのです。

 ということで、道中写真はなし、いきなり「野辺山」高原にご到着です。

 R141が街から少し外れているので、普段は「素通り」が多い野辺山ですが、今回は訳あってちょこっと寄って見ました。(まあ、たいした訳ではないのだけど…)

 まずは日本一標高の高い場所に駅があるということで、有名だかどうかは知りませんが(^^;、取り合えず、駅へ向かい…(本来なら、ここでちょっと姿の変わった駅の写真を掲載するところなのですが、実はまだ写真…残っていません…^^;これまでの写真はその後の写真をイメージ挿入です^^;)

 そして、その次に向かったのがここです。

 「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」 http://www.nro.nao.ac.jp/

 くりまんたちは以前、シロを連れて一度訪れているのですが、

 http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/11/blog-post_13.html

 こういうアカデミックな場所^^;に両親たちが来た事はまずないだろうということで、ちょっくら見学してみることにしました。

 ちなみに、野辺山は日本でも有数に晴天率が高く、また空気が非常に澄んでいるということで、この地に国立天文台を作ったというようなお話を聞いたことがあります。

 受付で名前を書くだけで、見学は無料です。とは言っても、巨大な電波望遠鏡の周りを舗装路に沿って歩いてみるだけなのですが…

 でも、なかなか非日常的な風景です。

 なるほど、望遠鏡の移動にはレールが使われているんですね。

 ぶ~こ、ひたすら写してました。



 天文台を一巡りするとこんな碑が立ってました。


 「野辺山派遣隊之碑」

 話に聞いたことはありませんが、過去に野辺山でなにか悲しい出来事が起きたのかと、帰宅後、ネットで調べてみたら、以下のようなことが分かりました。

 (原文ママ)

 『昭和五年、航空機搭乗員の養成は若き俊才の特別教育によるとの方針により少年航空兵制度が設けられ、全国の十六歳前後の志願者より厳選うえ採用されて以来、昭和二十年八月の終戦に至るまで鉄石の予科練訓練を受けて巣立った二十万騎の若鷲たちは、名実共に日本海軍航空戦力の主軸として世界にその名を馳せたが、太平洋戦争後期には戦力利あらず、その多くが祖国の危急を救おうとの一念に燃えて自ら身命を惜しまず、愛機もろとも体当り攻撃を敢行して尊い命を国に捧げていったのである。

かかる戦局の中、敵機は連日わが国の主要都市を爆撃し、戦雲更に急を告げる昭和二十年春、三重、土浦、鹿児島、松山、浦戸、美保、滋賀、小松の八航空隊より選抜され、三重海軍航空隊特一部として編成された乙二十期及び甲十四期の予科練千百九十六名と教官を含む基地要員約百名は、当時迎撃用に開発された新鋭ロケット式局地戦闘機秋水の搭乗員となるため、秀峰八ヶ岳を仰ぐ野辺山基地に派遣され、丸山を中心として連日グライダーによる操縦訓練を行いついには鎮目教官の殉職を招くほどに訓練は激烈を極めたが、教科修了を目前に八月十五日の終戦により解除されるに至った。

 顧みれば予科練の歴史は僅か十五年余りにすぎないが戦いを好むに非ずひたすら愛国心に燃え未曾有の国難に殉じようと決意して精進を重ねる若人たちの至誠と犠牲的精神は、わが国の繁栄と世界の恒久平和への礎となることを衷心より祈念し、地元南牧村当局のご厚意を得て旧訓練所の地野辺山にこの碑を建つ。

 平成元年八月 三重空野辺山若草会   撰文 右代表 溝口源三郎』

 そのすぐ隣には公園もあります。

 周囲の木々が紅葉する池があり…

 噴水があり…

 鯉などもいました。
 芝生の上にビニールシートを敷いて、お昼を食べている方々もいらっしゃいましたが、ちょっと寒いです。(^^;

 あのう…これは何の実ですか?(^^;(恥ずかしながら、知りません^^;)
 いや、公園内…葉の紅葉というより、色々な実の紅葉がすごく多いのです。

 種類は違うようですが、これもそう。
 アップで写すとこんな感じです。

 まるでミカンを剥いたような小さな実がびっしりと鈴なりになっています。

 葉っぱは殆ど落ちてました。

 これは一応、集合記念写真。駐車場へと向かってます。

 というこで、本日はここまで。

 国立天文台を後にして、次なる目的地は八ヶ岳を見るのに最適な「平沢峠」です。でも、それはまた次回!じゃ~に~!(笑)

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