(入山川からの続きです…)
県道92号を上信越自動車道、碓氷軽井沢IC方向に進んでいくと、「千駄木橋」の先に大きな岩が見えてきます。
県の指定史跡にもなっている「千駄木遺跡」です。知らんかったけど…^^;
立て札のご説明によると、ここは以前から鹿の骨や角、土器片が出土していて、この地区に住む恩賀や下平の人々には良く知られているところであったそうです。
で、昭和47年、県道の改修工事に伴い発掘調査が行われたらしいです。
結果、縄文前期から弥生・古墳・歴史時代にわたって巨石の下を利用した岩陰遺跡であることが確認されたそうです。
出土品は土器片・石器類・古墳時代や歴史時代の土師器・須恵器など。
特に縄文後期の土器は信州、とりわけ八ヶ岳山麓地方の影響を受けたものが見られ、文化圏を考える上で貴重な資料となったそうです。
但し、ここに住んでいたと言うよりも、縄文人たちが、集落から遠く離れた山奥へ狩猟に出かけた時に、大きな岩陰の下で、休憩や宿泊などの一時的なキャンプをしたと考えられる遺跡だそうです。
けれど、発掘調査による出土品は4000点以上にもなり、「こりゃ、貴重な遺跡だ!」として保存の要望が高まり、道路改修工事の計画を一部変更して保存が決まり、続いて県指定史跡となったそうです。
また、別の資料によるとこの巨石は以前は1つだったそうです。
この岩はもともとひさしのように張り出した形をしていて、その岩陰を、縄文人がすみかにしていたそうです。
時代は縄文時代の中頃、といいますから今から6千年ほども昔々の前のことです。
ある日、浅間山が大噴火を起こし、その時に起こった地震で、この大きな岩が二つに割れてしまったらしいのです。
岩が崩れ落ちた時期と、浅間山噴火の軽石(As-D)が堆積した時期が一致することから、岩の崩落が噴火に伴う地震によるものと考えられたわけです。
岩が割れたあと、縄文人は、落ちた岩ともとの岩の間の狭い空間を利用していたようですが、いきなり住みかを奪われた縄文人にとって、これは確かに「災害」であったに違いありません。
足を踏み入れるのは初めてでしたが、すぐ傍を川が流れ、その先に滝があり、木立ちの間から挿し込む光もなんとなく幻想的な場所でした。
おう、縄文人の影が偶然写ってました!って無茶を言うにも程がある。(汗)
さて、車に乗ってそろそろ次に向かって出発です。
しかし、「そうです」とか「らしいです」とか…立て札に書いてあったことをただ書いただけって言う手抜き記事だなぁ。(^^;
うーん、ブログはもちっと自分の言葉で書かなければいかんなぁ…と反省している次第であります。
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