1/11(日)は「どんど焼き」でした。
朝九時、町内のどんど焼きを見にチャップと一緒に碓氷川の川原へ行ってきました。前日はかなり風が強く寒い日でしたが、この日は比較的穏やかでした。
小正月に行われる火祭りの行事である「どんど焼き」、地方によっては「どんと焼き」とか「とんど焼き」とか「どんどん焼き」とか、様々な呼び方がありますが、正式には「左義長」(三毬杖・さぎちょう)というそうです。
起源は諸説あるそうですが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。
小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされるそうです。
それがいつしか民間に伝わり、時を経て現在の形になったとされてます。(ちなみに薀蓄話はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より^^;)
本来は、1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼くのですが、国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、この地区もどんど焼きを1月の第2日曜日に実施しています。
その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除くと言われ、また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達するとも言われています。
また、民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされます。
どんど(とんど)を「爆竹」と当てて記述する文献もあるそうですが、これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字とのこと。実際、もの凄い爆発音が炸裂します。近くにいると驚きます。
どんど焼きは子供の祭りとされ、安中では各地区の育成会(子ども会)が主体で行っています。
どんど焼きで「だるま」を焼くかどうか、これは地方によって「縁起物を祭りで焼く事により、それを天にかえすのだから焼く」側と「目がつぶれるとされ、祭りでは一切焼かない」側の真っ二つに分かれるそうですが、この地方ではがんがん焼きます。
なので達磨さん天に召されます。(^^;
日本全国で広く見られる習俗ですが、東京では江戸時代、万治、寛文と、火災予防のために禁止されて以降廃れたとウィキペディアにはありました。(笑)
また、最近はダイオキシン問題で取りやめているケースもあるそうです。 難しい問題です。
作るには大変手間隙が掛かりますが、一旦、火をつけてしまえば約1分。あっという間に燃えてしまいます。
前日の夜は大人たちがこの中でホルモン焼きで一杯やります。しかもかなり遅くまで^^;
なので、翌朝、火を入れる前は十分に点検が必要です。
前夜からの泥酔者が丸焼けにならないためにも…(^^;
毎年、くりまんじゅうも参加するのですが、前の日は義理の妹の結婚式で帰宅が夜11時を過ぎていたのでいけませんでした。
スルメをかじる少年(笑)
スルメをかじる少年ツゥー(笑)
するめをかじる母親軍団。(笑)
ブログに載せて欲しそうだったので、ご希望にお応えします。(笑)
削除希望には応じられません。(^^)v
後片付けも一仕事です。
近くを流れる「洗濯川」
「オワッタァ…」と満足そうな顔。お疲れさん。
ちなみに隣の町内はこの後…消防自動車出動だったそうです。(^^;
火の用心、火の用心でお願いします。
<D300 + AF-S NIKKOR 50mm F1.4G>
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