1985年8月12日…24年前のあの真夏の夕刻…
皆さんは何をされていましたか?
くりまんじゅうがそのことを知ったのは夕闇に辺りが包まれ始める頃、仕事が終わり、当時、一人で住んでいた高崎の家に帰る途中の車のラジオから聞こえてくるニュース速報からでした。
「日本航空123便、東京発大阪行、ボーイング747が、レーダーから消え、現在消息を絶っています…」
その時はまだ、あれほど大きな事故に繋がるとは思っていませんでした。
しかし、事実が明らかになると…
犠牲者は乗員乗客524名のうち520名、その死者数は日本国内で発生した航空機事故では最多であり、単独機の航空事故でも世界最多でした。
久々に「慰霊の園」へ足を運んでみました。
慰霊の園は上野村村民有志により土地が提供され作られたものです。
慰霊塔は御巣鷹の尾根に向かって両手で合掌するような形で立っています。
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慰霊の名牌には520名のお名前が刻まれています。その一つ一つを見ていると、同じ苗字の方が多く見受けられます。
ちょうど、夏休み中で、またお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、家族連れの犠牲者が多かったことが分かります。
そのお名前が自然と涙で滲みます。
小さな缶ビールがそっと置かれていました。
名前も見ると「大島 九」。そう坂本九さんです。
九ちゃんもあの事故で亡くなられたのですよね。
あれからもう24年ですか。
この慰霊の園には、慰霊塔のうしろに身元確認できない気の毒な百二十一個の遺骨を納めるため、山腹に穴をあけて土の中に十畳分ぐらいの広さの八角形の納骨堂が造られています。
内部は石造りですが、その上には四千枚の金箔が張られています。
しかし、この納骨堂は「これから亡くなる人はいない。また出し入れするような性質のものでもない」という理由で、永久封鎖されているそうです。
来年であれから四半世紀。
時の流れと共にあの事故もやがて風化していくのでしょう。けれど、上野村ではこれからも慰霊の園と御巣鷹の尾根を村民とともに守ることを約束すると宣言しているそうです。
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どうか、永久に安らかにお眠りください。帰り際、「めそめそするな。上を向いて歩こう!」と九ちゃんに励まされました。
九ちゃん、また来るね。
< Nikon D700 + AF-S VR70-300mmF4.5-5.6 & SPAF28-75mmF2.8 >
くりまんじゅうさん、こんばんは。(^^)/
返信削除ちょっとご無沙汰です。
うわーーー!(゚o゚)紅葉がきれいですねー!)^o^(
が、今日はもう遅いので(爆)、明日またゆっくりと伺いますね。(^^)
それではお休みなさい。(@^^)/~~~
Super源さん、こんにちわ。
返信削除お目覚めでしょうから?(笑)
いえいえ、くりまんじゅうの方こそ、ご無沙汰しています。m(_ _)m
ブログ写真は紅葉真っ盛りではありますが・・・
ブログ記事は2週間ほど遅れになっているので、群馬の山は既に冬山です。(汗)
本当はリアルタイムに掲載できればいいのでしょうが、なかなかそういうわけにもいきませんで・・・^^;
スリッパが日本生まれというのは初めて知りました。(^^)
楽しい情報をありがとうございます。
またのお越しをお待ちしておりま~す。