前投稿http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/12/blog-post_8395.htmlの続きです。
数十年に及ぶ地元での激しいダム反対闘争を経て、8年後、2015年に「八ツ場ダム」は完成するそうです。
このダムの為、名湯として名高い川原湯温泉街をはじめ340世帯が完全に水没するとともに、吾妻峡の中間部に建設されるので、風光明媚な名勝で天然記念物でもあるその渓谷も半分以上は水没してしまいます。
今まで、新聞やテレビなどでダム建設の問題を見聞きして来ましたが、その理屈は分かっても心は正直に言って他人事でした。
けれど、群馬のそれも身近だった吾妻渓谷がなくなる・・・それは、いいとか悪いとかいう理屈を抜きにして、ただその現実に言いようのない「寂しさ」が込み上げてきます。
直面して初めて・・・ つくづく身勝手だなって思います。
上毛カルタの「耶馬溪しのぐ吾妻渓」はどうになってしまうのでしょうか?
「耶馬溪しのいだ吾妻渓」と過去形にするのでしょうか。それとも「ダムに沈んだ吾妻渓」となるのでしょうか。 けれど、そんなことはどうでもいいです。
90年以上この地で多くの人たちを育ててきた小学校も水の底に沈むそうです。(是非、リンクをクリックしてみてください。その現実を感じてください)
この地にずっと住み、また、ここを故郷にしている人々がいるんですよね。
運転しながらふと見ると、道の脇には祖先たちが幾世代にもわたって作った石仏や道祖神が人々を見守っていました。これらも皆、ダムの底に沈むのでしょうか?
暗がりの中、ライトに照らされて「ようこそ、ダムに沈む川原湯温泉へ」という、どこか疲れたように掲げられた、自虐的にも見えるアーチ型の看板が妙に印象的でした。
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ネットでこんな詩を見つけました。
『うまい水』(豊田こけし)
幼い頃、暗い台所の隅に大きな水瓶が一つあった。
夏の暑い日、柄杓で飲む一杯の水はとてもうまかった。
川から子供はバケツで水を運び、女は桶を天秤で水を担いだ。
川で洗濯をする人、大根を洗う人、井戸端会議も賑わった。
戦争が終わって何年か過ぎて、川から竹竿で水が来るようになった。
大雨が降るとすぐに水は止まった。
父がシベリアから帰ってきた年、水道となった。革命。
蛇口を何度も何度もひねってみた。
このうまい水を飲みに、娘は東京から帰ってくる。
「このお茶はうまいねー」と旅人は言う。「水がうまいんだよ」と答える。
左側に小さな大沢川、目の前に大きな吾妻川。川の音が私は好きだ。
眠られぬ夜は語りかけてくれる。眠るときは子守唄に聞こえる。
このうまい水、この川がダムになることが決まった。
今、私は住むところを追われようとしている。
憤りは消え、川を眺めながら、ボーッとしている。
(1987年10月) 『ダムに沈む村』より
『ダムに沈む村』 豊田政子 著 (上毛新聞社)
ダムの底に沈みゆく静かなふるさと。
かけがえのない自然、想い出、そして心の慟哭を詩に託したものだそうです。
明るい時にもう一度、訪れようと思います。
本当のことは分からないかもしれません。
けれど、ほんの少しでも、心を寄せに訪れて、眼に、心に刻みたいです。
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