2009-09-09

富岡巡り 富岡製糸 No2

 (富岡巡り 富岡製糸場No1からの続きです…)

 さて、前回は場内に入る前に一回分記事を費やしてしまいました。しかも、結構長々と…^^;
 ということで、ようやく富岡製糸場内へ入場です。

 入場門の前にはこんな郵便ポストが置かれています。
 ノスタルジーを感じさせる、なかなか絵にもなる光景ですが、しかし、郵便ポスト本来の使われ方がされているのかどうかは甚だ疑問なところでもあります。^^;

 入場料は大人500円(大学・高生校250円、小・中学生150円)でした。

 入場すると右手に大きなサルスベリの木が植えてあり、そこに記念碑が建っていました。

 なんの記念碑かと言うと「明治6年、天皇の要請により、皇后、皇太后ご一行がここ富岡製糸場を行啓された」という記念碑です。
 ちなみに行啓記念碑が建立されたのはそれから70周年に当たる昭和18年。

 碑には、 「いと車 とくもめくりて大御代の 富をたすくる道ひらけつつ」という明治皇后が詠まれた歌が刻まれています。

 この写真は現在も使用されている施設の管理事務室を屋外から撮ったもの。
 板張りの廊下に木製の階段、古い学校のような風情がありますね。しかし、残念ながらこちらは見学禁止です。

 いよいよ建物の中に入ります。まずは入り口正面の「東繭倉庫」です。
 富岡製糸は、殖産興業を推進させる為に国が建てた大規模な建造物が居並ぶ工場です。
 繰糸場は長さ約140メートル、幅12メートル、高さ12メートルで、当時、世界最大規模を誇っていたそうです。
 工場建設は明治4年に始まり、翌年の明治5年7月に完成、そして、その年の10月4日には早くも操業が開始されたそうです。

 主要な建物は、木で柱と梁を組み、壁にレンガを積み入れて造る 「木骨レンガ造」という工法で建てられています。

 当時、レンガという西洋の新しい技術を取り入れながらも、日本在来の木材をふんだんに使用し、屋根は瓦で葺くなど、日本と西洋の建築技術を融合させて建てられました。
 木材を骨として地震の多い日本の風土にも対応したのかもしれません。

 建物の入り口で絵葉書のようなものを売っていました。
 あっ、なるほど、ここで絵葉書を書き、その場で書いて、帰りに最初の郵便ポストという仕組みなのかもしれませんね。
 写真を時系列的に眺めつつ記事を書いていて、今、初めて気が付きました。想像力が足りない自分が情けないです…(^^;

 こんな木の扉の鍵穴が妙に気になります。^^;

 「原料課」と看板が掛けられた向こう側は売店でありギャラリーであり資料室でした。
 一番賑やかな場所でした。

 フロアに当時の写真(や絵画)が飾られてています。

 その奥では大型液晶テレビで「富岡製糸場」について説明する放送が流されていました。

 皆さん、結構、真剣に見てました。文化を学ぶことはいいことです。

 鉄枠の窓や扉は基本、観音開きです。その鍵や蝶番などはこの工場の設計指導者であるポール・ブリューナの母国、フランスから仕上げて運び込まれたものだそうです。

 暑さ対策の為に場内のあちこちにこの水蒸気付き扇風機が置かれていました。
 いや、ただ風を送る扇風機に比べ断然に涼しいのには驚きました。

 建物を一旦出て少し歩くと左手に煙突が目に入ってきます。
 説明書きされた立て札によると、そもそもは明治5年に鉄製の煙突が立てられたそうですが、明治17年に暴風で倒壊し、その後、何度か立て直されて、現在の煙突は昭和14年に建設された鉄筋コンクリート製のものだそうです。
 直径2.5m、そして高さは37.5mあるそうです。
 ちなみに煙突が高いのは石炭を燃やす時に出る煤の排煙対策の為だそうです。

 そして、その先、百メートルほど歩いた先にあるのが「西繭倉庫」です。

 ちなみに富岡製糸場には大きな繭倉庫が二つあります。
 入場してすぐにあり、現在、売店になっていたりギャラリーになっているのが「東繭倉庫」、そして一番奥まって立っているのが「西繭倉庫」です。

 建築は同じく明治5年。こちらも同じく木骨レンガ造りで東繭倉庫と同じ構造の建物ですが、窓の数がすくなかったり、アーチが少なかったりして、装飾性は削られています。
 なお、建物の一部レンガの色が異なる場所があったのですが、それは昭和後期に積まれたものだそうでした。(^^;

 ここで見学は行き止まりです。西繭倉庫から先の建物内部は立ち入れません。警備員が「その先、行っちゃダメよ!」と見張っています。

 振り返ると「東繭倉庫」…

 いや、もっと奥があるのかもしれませんが、本音を言うと想像していた以上に小さかったです。(^^;
 そこに立つ警備員さんとも少し話をさせてもらったのですが、「本当はもっと細部まで見学できればいいのでしょうが、人が多くなると色々と警備や管理に難しい問題もあって…」と正直な実感をおっしゃっていました。
 まあ、その気持ち分かります。

 それにしても、なぜ日本で最初の官営製糸場をこんな群馬の山の中に作ったのか…
 富岡製糸場公式HPによると、それには以下のような理由があったそうですが…

 1. 西上州(群馬)、特に富岡周辺は養蚕が盛んで、生糸の原料である繭が確保しやすい
 2. 工場建設に必要とする広大な用地が確保可能。
 3. 製糸に要する水が既存の用水を使い確保できる。
 4. 燃料になる石炭が近隣の吉井、高崎で採れた。
 5. 外国人指導の工場建設に地元の人たちの同意が得られた。

 けれど、なんか、もっと別な理由があったような気がします。(笑)
 このくらいの理由なら、当時、いたるところに候補地はあったでしょうし…
 まあ、その辺は実際の所、よくわかりませんが…^^;

 さて、もう一度、「東繭倉庫」に戻り、売店も見てみました。

 「富岡製糸場工女さんも愛したカレー」だそうです。(笑)
 なぜカレーなのか、よく意味が分かりませんが、工女さんたちにカレーが振舞われていたのでしょうか?
 けれど、もしそうだとしてもそれは最近の話でしょうね。(^^;

 が、しかし、こういうことはそのままスルー出来ないくりまんじゅうは早速ネットで調べてみました。
 なるほど。昭和20年創業の高田食堂のレトルトカレーだそうです。
 そう富岡製糸場のご近所にある、地元富岡市で「カレーと言えば高田食堂」と言われる洋食店「高田食堂」のカレーのレシピを元に作られたものだそうです。
 富岡製糸場を出て、まだお昼を食べていなかったので、元富岡住民であるぶ~こに電話して「この辺、どっか食べるとこない?」と訊いたところ「高田食堂へ行けば!」と言われたお店です。(日曜が定休なのか、それとも時間で閉まっていたのか分かりませんが、結局、お店は閉まっていて入れませんでしたが、ぶ~この情報によると「高田食堂」、カツカレーとソースカツ丼が名物だそうです。今度、行ってみよ!笑)

 さて、まだ後半があります。(笑)
 でも、ちょっと長くなってしまったので、一度休憩いたします。

 < Nikon D700 + Ai AF-NIKKOR 35-70mm F2.8D >

 まだまだ、続く…

8 件のコメント:

  1. くりまんさん、さすが、丁寧な解説ありがとうございます。ワタシもこの中へ1回だけ入りましたが、全く考えるという行動をしておりませんでした。
    しかし、唯一調べたのがこのカレーのこと!!
    行ってみたいお店リストに載せたのに、
    くりまんさんの記事を読むまで忘れていました。
    もちろん、行ってみたいお店リストは、ノートとかではなく、ワタシの頭の中です。メモリ容量としては、1kBくらいです。1kBとか書くと、テキストだと何文字記憶できるとか、くりまんさんに書かれちゃいそうですね。
    高田食堂、行かねば!!

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  2. さすがはyukiさん、高田食堂、チェック済でしたか。(笑)
    記事にも少し書きましたが、富岡製糸を出て、どこかでお昼を食べようと思い、ぶ~こにTELしたら、「なら、高田食堂でもいけば!」と言われて、場所を聞いて行ってみたのですが、日曜定休なのか昼中休みなのか分かりませんが、お店開いてませんでした。
    で、ネットで「富岡製糸場工女さんも愛したカレー」を調べて、「あっ、これがその高田食堂なのね!」と知ったわけです。

    でも、あるブログでは、お店で食べるカレーよりレトルトのこちら方がスパイシーで美味しい…と…(笑)まあ、人の味覚は好き好きですので…^^;

    1KBですか。1024バイト…(笑)
    日本語2バイト文字で512文字ですね。でも、もう少しあるでしょう。(笑)

    高田食堂、レポートお待ちしています。(^^)v

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  3. こんばんは。yです。実は高田食堂のご主人と面識があります。
    僕とくりまんじゅうさんより2学年下で、たしか吉井高校のハンドボール部出身ですね。
    面白い男ですよ。残念ながら高田食堂へは食べに行ったことはないですけど。
    正確には「たかだ』ではなく「たかた」さんですね。
    因に巨人の背番号8は「たかだ」でジャパネットは「たかた」ですね。
    この説明で解る人いるかなあ!

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  4. おぉ、Yさん、今日は小文字の「y」ですね。(笑)

    先ほど、「高田食堂のご主人って知ってる?」とぶ~こに聞いたら「うん、知ってるよ。体格のいいオニイチャンだったよね!」と言ってました。(^^;
    実は、高校の後輩なんだそうです。(笑)
    で、「なんでYさんは高田くんと面識があるの?」とくりまんに聞かれましたが、そんなこと書いてないので分からん!と答えておきました。(笑)
    いつか教えてあげてください(笑)>Yさん
    まあ、すぐに忘れるだろうけど…>ぶ~こ
    JCかなんかですか?(笑)

    タカタとタカダ。
    苗字の読み方といえば、先日、うちでバイトしている大学生なのですが、給与振込みがどうにも出来ないで難儀しました。
    「該当なし」といって振込先の銀行から戻ってきてしまうのです。(^^;
    銀行名、支店名、預金区分、口座番号、名前、何度確認してもあてます。で、本人に確認しても「間違ってない」というのです。
    ついでに本人の通帳まで預かって、信組の担当者と確認してもあってるのだから…(^^;

    原因は苗字の読み方…
    この辺りだと「須賀」は「スガ」と言いますが、正しくは「スカ」なのだそうです。

    でも、そのバイト本人も自分を「スガ」です!って言いますし、実際、「スカ」さんなんか一人も知りません。

    で、知り合いの「須賀」さんに片っ端から聞いてみたら、「本当は「スカ」なんだけど、いちいち言うのも面倒臭いので「スガ」にしている」のだそうです。(^^;
    実際は、安中辺りの須賀さんは殆どが「スカ」らしいです。(^^;

    しかし、G銀行!そのくらいの間違い、気を利かせろヨ!
    っていうか、そろそろ、電信の照合もカナをやめて漢字にしろよ>金融機関!いったいいつの頃のシステムなんだ!(怒)

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  5. 知事の藤原さんは
    メールの冒頭に必ず「フジハラです...」と書いてます。
    こだわる人はこだわりますね。
    戦国の武将、織田信長は「オタ」だという説がありますね。
    子孫のスケートの方は普通に「オダ」と名乗っておられましたが。
    日本人は案外いい加減なので、何時の時点かで変わってしまった方が多いです。

    近所の上村(カミムラ)さんが、先日から「ウエムラ」さんに変わりました(笑)
    ウエムラ××という会社の社長なのですが、会社名の方に自分の名字を変えてしまったようです。
    「そんなの有りか?!」と言うのが正直なところ。

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  6. すいません
    知事の藤原 → 知人の藤原 です。
    知事に知り合いはありません(笑)

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  7. ウチの会社の新垣クンを「アラガキ~」って呼ぶと、「アラカキですっ!」と訂正するから、わざといつも「アラガキ~」って呼んでます(笑)
    そう言えば、須賀先生のことをウチの親、「スカセンセイ」って呼んでたな~って記憶が蘇りました^^

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  8. はりーさん、37suさんご両名>

    実際、そうなんでしょうね。
    こだわる人はこだわるけれど、こだわらない人はこだわらない。
    当たり前だけど…^^:

    まあ、こだわる派で一番有名なのは釣りバカ日誌の「ハマちゃん」でしょうか…
    最近、そのフレーズはあまり出てきませんけど、以前は「ハマザキ」ではなく「ハマサキ」。濁らないの!としつこいほどにマンガに書いていました…(笑)

    知事さんによろしくお伝えください。>はりーさん(笑)

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