2007-11-21

神津牧場・田口峠その2

群馬と長野を通じる峠道は何本もありますが、「碓氷峠」から南に向かって順番に書くと、「入山峠」「和美峠」「内山峠」「田口峠」「十石峠」「武道峠」「三国峠」となります。(林道を除く。また、三国峠は厳密には長野と埼玉の県境)

上信越道を使って帰るのが、安全で速いのは勿論承知なのですが、くりまんじゅうがそんな無難の道を選ぶはずはありません。(前々回、暗闇の十石峠で怖い思いをしたことなど、忘れています)
そこで、今回、帰路に選んだルートは「田口峠」超え。

田口峠は長野県臼田町(現:佐久市)と群馬県南牧村を結ぶ県道下仁田臼田線の最高地点(標高1,110m)の峠です。
けれど、田口峠は極めて稀な峠。一般的に山間部での県境と分水嶺は一致するのが通常ですが、この峠は完全に長野県側で完結しています。ようするに峠を越えて道が下りになっても長野県なのです。九十九折りの険しい山坂道を下がり切ったあたりで、突然、群馬県に入ります。峠と県境との標高差はなんと462mもあります。さらにいったんは群馬に入るのですが、その下でまた長野県が待ち構えています。不思議です。実に不思議な場所です。
地形的に見ても、周囲の山の木々の種類やその風景を見ても、完全に群馬であるべき場所ですが、何か理由があるのでしょうか?

旧臼田町の馬坂・広川原地区には、現在でも30人弱の住民が居るそうですが、住民票一つ取りに行くのにあの峠道を越えていかなければならないのでしょうか…南牧村役場なら、すぐそこなのにです。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.9.29.190&el=138.36.45.405&la=1&fi=1&pref=%b7%b2%c7%cf&skey=%b7%a7%c1%d2&sc=5(MAP)

山賊が出そうな山坂道です。車のなかった時代はいったいどうしていたんだろうと思います。この地区に、今は子供はいないそうですが、学校とかはどうしてたんでしょう。
どうしてこんな所に県境が引かれたのか、は深まるばかりです。

さて、県道93号線を田口峠方面に進み人里がなくなり山間部に入って、いきなりくりまんじゅうの眼に入ってきたのが、「田口峠全面通行止」の看板!

ぎゃふん!マジ?


これがまた如何にも最近土砂崩れがあったというような場所に置かれていました。
茫然自失です。けれど戻るしかありません。それにしても、もっと前に表示しておくべきだろう!と込み上げる怒りについスピードが増します。
すると5キロほど戻ったところに同じ看板がありました。

「ちぇっ、こんなところにあるよ!」


見落とした自分を省みず舌打ちをします。


「うん?」


急ブレーキです。車を停めて看板をよく見てみました。
大きな文字で書かれた「田口峠全面通行止」のその下に、小さい文字で「大型車」と書かれていました。
普通車は通れるのです。それにしても、なんて紛らわしい書き方でしょう。だいいち、あんな峠道、そもそも大型車なんかで誰も通らんわい! (バーロー!!!!)
と言うことで、すぐにまたUターンとなりました。

先の看板にも小さな文字で「大型車」と書いてありました。けれど、「全面通行止」は白地になのに、「大型車」は赤地にの文字なので酷く見にくいです。行政の「なるべく通るな」っていう意図が感じられます。

道沿いの渓流が実にいいです。ゆっくりと景色を眺めながら進みたい道です。けれど、夕暮れが迫って来ており、このままだと十石峠の二の前になってしまう!と恐れたくりまんじゅうは車のスピードアップです。 


 雨川ダムのエメラルドグリーンの湖水も「パチ、パチ」と写真2、3枚撮っただけで先を急ぎました。雨もまた降り出してます。


 
 途中、「日本で海から一番遠い地点」という看板を発見。ということは、「海水浴」をするのに日本で一番遠い場所でもあります。(当たり前)
 日本で一番の奥地とも言えます。いいです。実にいいです。なんであっても日本一は凄いことです。
普段なら、どんなことをしてでもそこへ行ってしまうくりまんじゅうでしたが、本日は涙を飲んで「看板」の写真のみです。(また、絶対に来ます)

 

 
そして、ようやく田口峠です。
 

 
時刻はpm4:30頃。この時間なら、険しい下りも明るいうちに下りられます。
気持ちに余裕の出来たくりまんじゅうは時々、車を停めて写真なんぞも撮ってみました。
 

 
狭岩随道」を抜けると左右の切り立った岩肌に張り付くようにして、木々が美しく色づいていました。けれど、暗くて写真はペケです。
 

  ようやく山間に集落が現れます。実に味のある山村集落です。ただ、前述したようにここはまだ長野県側なのです。一日、いったい何時間くらい陽が当たるのか、周囲の山を見上げていらぬ心配をついしてしまいます。
 
手作りの段々畑、自宅の庭先にお墓まであるのは驚かされます。きっと先祖代々のお墓なのでしょう。
 

 
ニュース報道もされましたが、9月の台風で道が分断されて孤立してしまった南牧村に入りました。今なお、道がいたる所で崩れていました。
 

 
南牧村は「群馬の秘境」とも言われる場所ですが、とてもいい場所です。
既に辺りは暗くなってしまい写真は残せませんでしたが、「蝉の渓谷」など吹き割れの滝も裸足で逃げ出すような見事な景勝地です。
明るい時にもう一度ゆっくりと訪れたい場所です。
以前、くりまんじゅうのお店(富岡市)に南牧村の女子学生がアルバイトをしていたのですが、「小学校の頃は登下校によく熊に遭いましたよ!」と普通に話してました。

南牧村から下仁田町を通り、富岡のスーパーで夕飯のお寿司を買ってpm6:00過ぎには無事帰宅できました。

群馬に住んでいても、また、普段、何気なく通っている道でも、見落としている、見逃している場所はまだまだ沢山あるものだなっと実感する西上州の秋のドライブでした。

------------------

<不思議な県境の伝説>

どうしても合点のいかないくりまんじゅうは少し調べてみました。

<南牧村誌/1981.3/群馬県甘楽郡南牧村―P1334、1491、1492>より抜粋

4 村境の決定と変更
 村境を決めた伝説には、馬坂の出合裁面がある。(以下略)


25 馬坂の地名
 馬坂と広川原は、田口峠をくだって上州側の沢辺にある小村であるが、信州に属している。
昔、上州と信州の境い決めの時、両国の役人が出合ったところを境いにすることとなり、一番鶏を合図に両国から出発した。
 信州側は馬に乗り、上州側は牛に乗って出発した。馬は早いため、峠を越えて上州側へ降りてきてしまった。そして現在の馬坂で出合った。上州側が驚いて「まさか、早うごわした」と言ったのでここを馬坂と名けけた。
 
 馬坂は小さな沢と道を国境いにして十六戸の家がかたまっている。上州から信州へ、信州から上州へ分家を出している。氏神は二つあり、市川と石井に分かれて祀っている。牛小屋と屋敷神が上州にあって信州に住み、蔵と便所が信州に在って上州に住む家もある。作物なども上州に植えて、信州でとることもある。

 けれど、これもあくまで伝説だそうです。

2 件のコメント:

  1. 昨日2010/4/11臼田から下仁田まで93号線を集落を下に眺めながら通りました。あの集落が気になり1日中調べていました。少々ですが、分かり始め感動したり、しています。また近日中に出かけます。

    返信削除
  2. 匿名さん、こんにちわ。
    古い記事ですが、コメントを頂きありがとうございます。

    そうですか、県道93号を走られましたか。
    しかし、あそこってとっても不思議な位置で県境が仕切られているんですよね。
    現在はどうか知りませんが、この記事を書いた時点では例えば郵便物などは長野の臼田から配達に来るってことでした。
    あの山坂道を越えてです。^^;
    で、あの集落は群馬側に編入した方がいいというお話も出ているそうですが、銅山かなにかがあり、臼田側が反対しているなんていうお話も聞いたことあります。

    >また近日中に出かけます。
    険しく細い道ですので、お気をつけて…^^

    返信削除

Powered By Blogger