皆さんは「夢」という言葉を聞いた(言った)時、その達成可能性率はどのくらいに感じますか?
少ないことは当たり前ですが、割合で言うと3%くらいでしょうか、1%くらいでしょうか、それとも、限りなく0に近いものでしょうか。夢の対象によっても違うのかもしれませんが、それでも達成する可能性は、「まったくの0」ではないと感じるのではないでしょうか。
「人」の「夢」と書いて「儚い(はかない)」と読みます。
夢を持つことを否定するような言葉です。達観してどこか見下したような感じすらして、なんてネガティブなのだろう…と思って調べてみたら、その意味が少しだけ分かりました。
「夢」と言う言葉の本来の意味。
「夢」とは(睡眠状態にみる心像・幻想の他に)、古来「寝目(いめ)」の意であり、目覚めれば消えてしまうもの、また、非現実的でありえないこと、そして絶対に叶うことのないものを意味するものだそうです。
だとしたら、確かに「儚い」です。
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子供が「将来の夢はプロ野球の選手になること」と言います。いえ、大人でも「小さくてもマイホームを持つことが夢です」と言うケースもあります。けれど、「夢」という言葉の本来持つ意味としては、それは間違いになります。
努力すれば実現可能なものは、「目標」「願望」「希望」であり、「夢」ではないのです。つまり、夢とは期待しても、努力しても絶対的に無理なもの、希望の微塵すらないものが夢なのだそうです。
例えば、年老いた時、「もう一度、子供の頃に戻って、亡くなったあの彼女と恋がしたい」と言った時、それが正に「夢」なのです。
言い換えれば、「夢」と「希望」はある面、真逆の意味と言ってもいいということをくりまんじゅうは最近知りました。
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鎖国が解かれ、『DREAM』が、日本に入ってきた時、それを『夢』と訳したのが原因なのかもしれません。勿論、その訳は訳で、素敵なものに感じます。
けれど、『今』の人たちが、(仮に間違っているとしても)使っている『夢』という言葉の意味を表す日本語って他に何かないでしょうか?
「目標」「願望」「希望」では少し寂しすぎます。《夢》が無さすぎます。
くりまんんじゅうの持つ語彙の中では『志(こころざし)』が、一番近い気がします。「青年よ、大志を抱け」の「志」です。
でも、『夢』はもう少し曖昧で、気安く使われる気もします。
『志』は錯覚とイコールになりませんが、時と場合によって『夢』は妄想や錯覚と等符号で結ばれる場合もありえます。
もし、いい言葉があれば教えてください。
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くりまんじゅうのブログのタイトルは「Yume-no-nakade」。
儚いです。けど、それでいて、どことなくロマンティックでしょ!乙女!(笑)
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