2007-10-26

乗鞍岳・御岳 紅葉 その2

奈川温泉で県道26号、通称野麦街道へ入りました。
「ここまで来たのなら、せっかくだから、野麦峠を越えてみる?」

野麦峠は、飛騨(岐阜県)と信州(長野県)を結ぶ野麦街道の国境にある峠で、主演大竹しのぶで映画化もされた「あぁ、野麦峠」(山本茂美著)で一躍有名になった場所です。

明治から大正、昭和初期にかけて、飛騨の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出ました。そして、この峠道を飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通ったと言います。

くりまんじゅうがここに来るのは2度目です。峠の標高は1672m。現在は「資料館」や「お助け小屋」と呼ばれる宿泊や食事も摂れる施設があります。

ちなみに。「お助け小屋」の由来は江戸時代まで遡るそうです。

「厳しい峠越えにより命を落とすものが多いことから、小屋を建て、番人を置き、峠越えをする者を救いたい」という願いを幕府が聞き入れ、天保12年(1841)に建てられたといいます。雪の峠を越えた工女達が体を休めたのも、このお助け小屋なのでしょう。現在のお助け小屋は、昭和45年に野麦峠の麓、野麦集落の古い家屋を移築したものだそうです。

峠には工女の碑が立っています。
 


また、「あぁ、野麦峠」は小説ではなく、実話(ノンフィクション)だったというのを初めて知りました。

※ 岐阜県吉城郡河合村角川で生まれ育ち14歳頃から毎年製糸工場へ出稼ぎに行った「政井みね」という女性がいました。彼女達の労働条件は大変厳しかったということです。そんな中、政井みねさんも20歳の時、信州・岡谷の工場で病気になり、兄がつれて帰る途中、野麦峠に辿り着いた時、「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」とうれしそうに言って息を引き取ったそうです。


明治42年11月20日のことだそうです。

野麦峠を岐阜県側に下ります。
途中、如何にも山の小学校というような建物がありました。懐かしさを感じます。


野麦街道がR361に突き当たったところに「高根乗鞍湖」があります。人造湖ではありますが、周囲の山々の景色とマッチして非常に綺麗な湖です。


高山から木曽福島へ抜けるR361通称木曽街道を進みます。この街道沿いがこの日、一番綺麗な紅葉を見せてくれました。


長峰峠を越えるて開田村へ入ると霊峰「御岳山」がその端整で美しい姿を見せてくれました。
 

御嶽山(標高3,067m)は長野県と岐阜県にまたがってそびえる独立峰の活火山です。御嶽山は富士山・白山などと並んで、古来から人々の信仰を集める信仰の山でもあります。今でも白装束に身を包んで、願いを込めて山頂の奥社を目指し信仰登山をする人々が大勢います。

木曽福島でR361からR19中山道へ入りました。さすがに一級国道ですので、車の往来も当然、激しいです。右手に聳える中央アルプスの主峰・駒ヶ岳を一望できる道の駅(日義木曽駒高原)に立ち寄りました。

乗鞍岳、御岳に続き、本日3つ目の3000M級の山並みです。木曽駒ヶ岳(以前ぶ~こと登った山です)の雄大な景観を楽しめます。

シロも駅内を自由闊歩です。


こんなところで、記念写真も撮りました。(笑)


道の駅からほんの数キロ走って、R361へと右折します。R361は中央アルプスのドテ腹をぶち抜いて、反対側の伊那市へと抜けていきます。
以前は土砂崩れや落石でで通行止がたびたび発生し、道幅も狭く車のすれ違いも難しかった険しい山岳路である権兵衛峠(当然ため冬期は通行止)を越えていくしかなかったのですが(所要時間90分)、昨年、権兵衛トンネル(ごんべえトンネル)が、開通して、あっという間に木曽と伊那が結ばれました。(所要時間30分)

伊那ICから中央高速に乗り込みます。


諏訪湖SAで一休みです。夕暮れの諏訪湖もきれいでした。


中央高速を小淵沢ICを下りて、八ヶ岳高原道路でR141へと抜けます。辺りは既に真っ暗で当然、写真は撮れません。それでも、強引に撮ったのがこれです(笑)

夜の八ヶ岳

佐久ICで上信越道に乗ったのはPM6:30頃でした。
そして、安中着が7:10!走行距離トータル480kmのかなり強行軍の旅となってしまいました。日帰りとしてはこの辺が体力的にも限界です。

無事、帰宅できましたが、シロを含めて、皆、かなりお疲れの模様でした。(笑)

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